沖縄滞在中に、丸一日を使って史跡めぐりを楽しみました。
この日訪れたのは沖縄本島中部と北部。読谷村、恩納村、うるま市の史跡5カ所です。その他、偶然見つけた絶景スポットなど、その日一日を旅行記的に書いていきます。
※長くなったので記事を分けました。この記事は前編【読谷村・恩納村】です。
うるま市編はこちら→うるま市の史跡めぐり【沖縄滞在中の史跡めぐり-後編】
座喜味グスクを目指して道に迷う
この滞在では読谷村を拠点にしていたので、朝から読谷村の集落を散歩。
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…と書けば清々しいのですが、実は座喜味グスクでラジオ体操をしようと出かけて道に迷ったのでした。
ひょっとして近道できるかもというノリで、いつもと違う道を行ったのが大間違い。グスクの姿は見えているのに延々たどりつけず、あきらめて周辺集落の散策をして帰りました。
さすがは琉球の武将・護佐丸(ごさまる)が築城したグスク。簡単に攻め込ませてはもらえなかったです。
座喜味グスク(座喜味城跡)は、沖縄にある世界遺産の一つでもありますね。有名な史跡です。
関連記事→沖縄の世界遺産-5つのグスク(城)
ちゃんと後日再チャレンジして写真を撮ってきましたよ。
座喜味グスクの場所
沖縄県中頭郡読谷村座喜味708−6
琉球国王「尚巴志の墓」(読谷村伊良皆)
滞在先に戻って朝食をとったあと、読谷村伊良皆にある尚巴志(しょうはし)の墓へ。正確には尚巴志、尚忠(しょうちゅう)、尚思達(しょうしたつ)の墓です。
尚巴志とは、1406年に琉球王国を統一した人物。当時三つの勢力に分かれていた琉球を一つにまとめて(制覇して)、第一尚氏王統を築いた人物です。
そして尚忠は尚巴志の息子、尚思達は尚巴志の孫にあたる人物。尚巴志を継いで国王となりました。
第一尚氏王統の時代、尚巴志の墓は首里城近くの天山陵にあったといわれています。でも第一尚氏7代目のとき(1469年)に、クーデターによって政権が奪われます。そのときに尚巴志の子孫たちが、お骨と位牌を持ち出して隠したのがここ。
本来隠されたお墓なので周辺はうっそうとしていて、野生の気配が怖いったらありゃしない。お墓まで続く小路の横には川が流れているので余計にジメジメ感がすごい。今にもハブちゃんが出てきそうでした。
尚巴志の墓は前からずーっと行きたくて、今までも2回くらいチャレンジしたことがあったんです。でもいつも突然雨が降ってきたり、なんだかうまくいかなくて断念していました。暗くて生暖かい日にはさすがに入れない茂みです。
この日はとてもいい天気で日差しも強かったので、えい!やー!と気合で突入。それでも大声で歌いながら足を踏み鳴らして、やっとたどり着いた感じでした。(ハブちゃんに人の気配を気づいてもらわないと…。)
草木が生い茂る階段の先には、崖下に埋め込まれるように構える尚巴志の墓。
なんなんでしょう。この迫力。威風堂々とした存在感。
もっと度胸をつけてまた行きたいなぁ。怖がってばかりいないで強くなりたいなぁと思います。
いつもはお墓の前に立つと、『ここに来れました。ありがとうございます。また来ます。』と、ご挨拶するんですけど、尚巴志のお墓の前では、『そんなに来れないかもしれないですけど、よろしくお願いします。』みたいなご挨拶をしてしまった。
野生の恐怖にテンパってたんです。尚巴志に笑われてしまうさ…。でも行けてよかった。
王国時代の街道「比屋根の石畳道」(恩納村仲泊)
尚巴志の墓にごあいさつをした後、あんまりいい天気だったので恩納村仲泊にある比屋根の石畳道を目指しました。前から一度歩いてみたかったですよね。天気のいい日に。
恩納村仲泊の国道58号線沿い「おんな道の駅」近くには仲泊遺跡があって、その入り口付近から山へ入れる道があるんです。
この道は、琉球王国時代につくられた宿道(すくみち)の一つで、首里城から名護を結ぶ、国頭方西海道(くにがみほうせいかいどう)の一部だそうです。
ルネッサンスな絶景ポイント
石畳でできた階段と坂道を登ると、小高い丘の上に出ます。そこから見える景色がなんと綺麗なこと。
国道58号線とホテル「ルネッサンスリゾートオキナワ」を見渡すことができました。なんかリゾート~って感じの景色。
国頭方西海道は一度ゆっくり時間をかけて歩いてみたいなぁ。トレッキングみたいになりそうなので、季節や天気を選んでいるとなかなか行けないんですよね。車の置き場所も悩むし。
だけどルネッサンスリゾートを拠点にすれば気軽に行けるかも。
比屋根の石畳道の場所
沖縄県国頭郡恩納村仲泊比屋根原2345
後編に続く→うるま市の史跡めぐり【沖縄滞在中の史跡めぐり-後編】
【追記】この滞在中の体験記事一覧
・映画『ホテルハイビスカス』のロケ地に行ってきた【辺野古・久志編】
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