2015年1月29日、5日間の沖縄旅行3日目の旅行記。今帰仁村で観光と歴史散策をした日。
今帰仁グスク(今帰仁城跡)で桜を見て、その後は今帰仁村周辺の歴史散策…といってもほとんどお墓めぐりなんですけどね。
そしてこの日はこの旅行中初めて日差しを浴びることができました。冬の沖縄の海は澄んでいて太陽が出たらとても綺麗でしたよ。
1日目の記事→1月下旬 沖縄の一番寒い月は本当に寒かった【旅行記1日目】
2日目の記事→波に揺られて久高島からの南城市史跡散策【1月下旬の沖縄2日目】
2015年1月25日の今帰仁村 午前中は薄曇り
まずはこの日(2015年1月29日)の観測天気から。
天気:曇り時々晴れ
最高気温:21.3℃
最低気温:15.5℃
午前中は薄曇り。どんよりではなくて白い雲のすき間から少し青空が見え隠れする感じでした。風は少し強かったと思います。
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朝一番に今帰仁グスクへ-寒緋桜は五分咲き
朝一番に今帰仁グスクへ。今帰仁グスク(今帰仁城跡)は世界遺産にも登録されています。
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実はこの時期に沖縄に来た目的は、一足早くお花見がしたかったんです。沖縄の桜は寒緋桜(カンヒザクラ)といって鮮やかなピンクの花が咲きます。
この日の桜はまだ五分咲きという感じでした。
今帰仁グスクでは毎年1月に桜まつりが開催されます。
→(2024年)第17回今帰仁グスク桜まつり開催決定【今帰仁村観光協会】
今帰仁村運天で歴史散策
午後からは今帰仁村周辺の歴史散策です。
ただ歴史散策といってもこの頃読んでいた歴史本の影響で、お墓ばっかりめぐっていました。いわゆる墓マイラーですね。
大北墓(うふにしばか)は琉球王国時代の王族の墓
最初に向かったのは今帰仁村の運天港近くにある大北墓(うふにしばか)。
お墓の案内板には、
今帰仁グスクで第二監守を勤めた北山監守(今帰仁按司)とその一族を葬った墓である。
と書かれていました。
今帰仁グスクの最後の北山王・攀安知(はんあんち)は、1416年(もしくは1422年)、尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされました。そして攀安知亡き後の今帰仁グスクには北山監守が配備されます。(第一監守時代)
北山監守は尚巴志王統が倒れた後も引き続き王家一族から派遣されました。(第二監守時代)
第二尚氏王統3代目の尚真王の時代に、尚真王の三男尚韶威(しょうしょうい/今帰仁王子朝典)が北山監守として派遣されます。
大北墓は尚韶威以降7世までの北山監守とその一族が葬られているお墓。(尚韶威と3世尚和賢のお墓は別にあります。)ということは、ここは王族の墓でもあるってことですよね。
運天散策道展望台からこの旅初の青い海を拝む
大北墓から移動している途中に散策道を見つけました。「運天散策道」だそうです。
運天散策道を道なりに進むと展望台がありました。
そして、はい来たよ。はい。この沖縄旅行初の日差し!!
青い。海が青いよー。
展望台から身を乗り出して写真を撮りまくっていました。どんだけ青に飢えてたんや。
百按司墓(むむじゃなばか)相当な権力者のお墓?
次は展望台近くにある百按司墓(むむじゃなばか)へ。その名の通りたくさんの按司(あじ=権力者)が葬られているというお墓です。
ここはとても鬱蒼とした雰囲気でした。
百按司墓に葬られているのは様々な年代の人物なんだそうです。
そしてこれはうろ覚えなんですが、大昔の相当な権力者のお墓だったんじゃないかと何かの本で読んだ気がします。大昔は運天港に入ってくる交易船からこのお墓が見えるようになっていて、そうすることで亡き後も権力を知らしめた…的な話を読んだ気がします。間違っていたらスミマセン。
でも確かに百按司墓からは運天港が見渡せました。
っていうかまた曇ってしまって景色が灰色ですね。
今帰仁村諸志の赤墓ビーチが美しすぎた
続いて今帰仁村諸志へ移動して赤墓ビーチへ。
なんと、ビーチを歩いていたらまた出た!太陽が!!
運天散策道にいるときから微妙に晴れつつあったのですが、ここでもう一度サッと日が差しました。そして日が差した海が綺麗なこと。
青いー。
こっちも青いー。
そういえば気象データを忘れていましたね。
この時(14時ごろ)の気象データは、
気温:19.2℃
風速:2.1m/s
風向:北東
ムシムシした暑さで上着を脱いでロンTで過ごしました。沖縄は冬でも太陽が出たとたんに、暑い!と感じます。
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でも太陽の光で海や緑がとても鮮やかに見えるので、蒸し暑くてもテンションが上がるんですよ。
赤墓は琉球国王の身内のお墓
ところで、このビーチがなぜ赤墓ビーチという名前なのかといいますと、シンプルに赤墓と呼ばれるお墓があるからです。
赤墓はとても由緒ある墓で、琉球国王・尚円王の弟だという上間大親とその先祖の墓なんだそうです。
尚円王とは、尚巴志一族の王統(第一尚氏)を倒して、第二尚氏王統を成立させた人物。
尚円王は伊是名島出身だといわれているけど、実は今帰仁の人だという説もあって、なかなか素性がはっきりしないようですね。尚円王の兄弟とその先祖のお墓が今帰仁にあるということは今帰仁出身説もあながち突飛なことでもない気もします。
そして赤墓という名は、魔よけのために表の漆喰や中の石棺が朱色に塗られていたことに由来するそうです。それに赤の色は高貴な色だったとも聞いたことがあります。
今はもう赤くないけど、赤いお墓って迫力ありそう。
ということでこれにてこの日は撤収。
ほんとにお墓三昧の一日でした。琉球の歴史探訪はお墓もすごく重要なんですよ。
でもいつか地元の人の話を聞いたり歴史上の人物の位牌を見せてもらったりできたらいいなぁと思います。
それにしてもこの日の晴れ間は嬉しかった~。冬に暑い沖縄が体験できるとテンション上がります。また晴れた冬の沖縄を体験したいなぁ。
4日目に続く→本島中部の史跡めぐり-冬の曇り空へ逆戻り【1月下旬の沖縄4日目】
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