1月末に沖縄旅行した時の天気と旅行記【2日目】久高島・南城市編

スポンサーリンク

1月末に沖縄旅行をした時の天気データと実際の体感を比較してみました。

この記事は2日目の様子です。この日は久高島と南城市を散策しました。寒さは比較的和らぎましたが、冬の沖縄の曇り空は独特の雰囲気です。写真を載せましたので参考にしてみてください。

2015年1月28日の天気データと体感

過去のデータ

天気:雨のち曇り
最高気温:18℃
最低気温:15.4℃

実際の体感

この日は午前中しっかりと雨が降っていました。午前中に久高島に行く予定だったのですが、風が強かったので船が欠航にならないかヒヤヒヤしたのを覚えています。

結局船は出航したのですが、波の高いこと高いこと。それはもう揺れる揺れる。

船酔いって、水平線とか陸地とか止まっているものが見えていると抑えられるもんなんですけど、この日は高速船の窓にバッシャンバッシャン波がかぶってきて、窓の外なんて一つも見えやしねぇ!って感じでした。

私は怖がりなので緊張感でなんとか船酔いは免れましたが、夫はわりとグロッキーでしたよ。

午後になると雨は上がって、風も少し和らいだように思います。前日みたいにヒーヒーいうほど寒かった記憶がないんです。それに清掃作業のおじさんたちが、道端でのんびり休憩していたのを覚えているので、比較的穏やかな体感温度だったんだと思います。

空はガッツリ曇り空でしたけど。

久高島をガイドさんに案内してもらう

この日の久高島散策は、ガイドを予約していました。ガイドをお願いしていたのは久高島にある食堂『食事処けい』のご主人。

食事処けいの詳細【食べログ】

徳仁港まで車で迎えに来てくれていて、島の隅々まで案内してくれました。

私たちが御嶽や歴史に興味があることを伝えると、私たちだけでは絶対に見つけられない場所にある御嶽とかグスク跡も教えてもらえました。

それに今までに何回も通りすぎていたはずの場所に「アマミキヨが腰かけた石」があったり、道端の石積みにしか見えないところが実は重要な御嶽だったりと、たくさん発見があってかなり充実した久高島散策でした。

アマミキヨが腰かけた石(久高島)
アマミキヨが腰かけた石

知っている人に案内してもらえると、同じ風景でもいつもと違った景色に見えてきますね。ガイドさんと周る久高島散策はかなりおすすめです。

南城市の史跡めぐり

久高島散策の最後は『食事処けい』で昼ご飯を食べてから安座間港へ戻ってきました。帰りの船は風も波も穏やかで何事もなく帰ってこれました。

食事処けいの詳細【食べログ】

その後は南城市辺りを散策。

久高島に行った後は気持ちがふわふわしているので、最近は久高島の後に予定を入れないようにしているのですが、この頃はまだ欲張ってますね。

百十踏揚と三津葉多武喜の墓

南城市玉城富里の南城市陸上競技場にある百十踏揚(ももとふみあがり)と三津葉多武喜(みつばたぶき)の墓。

百十踏揚と三津葉多武喜の墓(南城市玉城富里)
百十踏揚と三津葉多武喜の墓

百十踏揚は琉球王国時代の姫君です。立場としては、先日の記事にも書いた尚泰久(しょうたいきゅう)王の長女であり、護佐丸(ごさまる)の孫であり、勝連グスクの11代目城主阿麻和利(あまわり)の妻でもある人物。

歴史上のそうそうたるメンバーに囲まれた百十踏揚は、歴史の波に翻弄された人生を送ります。

三津葉多武喜は尚泰久王の次男であり、護佐丸の孫にあたる人物。二人は兄妹なんですね。
二人のことをもっと詳しく書きたいんだけど、長くなるので今回は省略。

百十踏揚と三津葉多武喜の墓の地図

尚泰久王の墓

第一尚氏王統6代目国王・尚泰久の墓は南城市富里にあります。

第一尚氏時代は首里にあったそうですが、首里城内でクーデターが起きた時に子孫に守られてこの場所に移されたそうです。

さすが国王の墓。香炉が蓮を象っています。

尚泰久王の墓(南城市富里)
尚泰久王の墓

先ほどの百十踏揚もそうですが、尚泰久王は琉球の歴史上重要な人物と多く関わっています。

もし、琉球の歴史に興味があるけど、どこから手を付けたらいいのかわからないと思っているなら、尚泰久王から調べ始めると、いろんな出来事がつながっておもしろいと思います。

尚泰久王の墓の地図

受水走水

南城市玉城百名にある受水走水(うきんじゅはいんじゅ)。この場所は琉球の稲作発祥の聖地とされている泉です。

受水走水(うきんじゅはいんじゅ/南城市玉城百名)
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)

写真の真ん中にある石碑には「受水」と書かれていました。…が、「受水」の石碑があるなら「走水」の石碑もあるんじゃね?と単純に考えて探してみたけど見つかりませんでした。

後で調べてみると、泉の東側が「走水」西側が「受水」だそうです。

この時はよくわからなかった場所だったんですが、もう一度行ってみようと思います。受水走水っていう名前の由来も、もっと調べてみたら何かありそうだし…

関連記事→親田御願-受水走水で行われた沖縄の伝統行事を見に行きました

受水走水の地図

ヤハラヅカサ

南城市玉城百名の海岸にあるヤハラヅカサの石碑。

ここは琉球開闢の神さま、アマミキヨが琉球の地を創るために久高島からこのヤハラヅカサへ降り立ったという伝説の場所です。

1月末の曇り空とヤハラヅカサ(南城市玉城百名)
1月末の曇り空とヤハラヅカサ

潮が引いていると石碑の側まで歩いて行けるのですが、この日は海面に降り立ったような姿で見られました。

だがしかし雲がど~んより。沖縄の冬の曇り空ってこんな感じが多いです。

浜川御嶽

浜川御嶽(はまがーうたき)。ここもアマミキヨにまつわる聖地です。

浜川御嶽(はまがーうたき/南城市玉城百名)
浜川御嶽(はまがーうたき)

先ほどのヤハラヅカサに降り立ったアマミキヨが、しばらくこの場所で暮らしていたという伝説がある場所。ヤハラヅカサがある海岸の林の中にあります。

ヤハラヅカサ・浜川御嶽の地図

仲村渠樋川

南城市玉城にある仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)。樋川とはざっくり言うと集落の水源のこと。

仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー/南城市玉城仲村渠)
仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)

他の地域の樋川もいくつか見たことがありますが、ここはお風呂場があったり洗い場があったり設備がかなり充実した水場でした。

この設備が完成したのは大正時代になってからだそうですが、昔は『うふがー』と呼ばれていたと案内板にあったので、この集落の産湯をくむ場所だったってことなんでしょうね。たぶん。

なかなか見ごたえがある場所です。

仲村渠樋川の地図

馬天御嶽

この後、どういう訳か南城市佐敷新里にある馬天御嶽(ばてんうたき)まで移動してますねぇ…。といっても車で10分ほどですが、なぜそこに行ったのかは覚えていません。ちょっと道に迷ってた記憶もなきにしもあらず…。

馬天御嶽は琉球の三山を統一して、第一尚氏王統を築いた尚巴志の、おじいちゃんにあたる鮫川大主(さめがわうふしゅ)とその妻が祀られている御嶽です。

イビの御嶽(南城市佐敷新里)
馬天御嶽内にあるイビの御嶽

もともとこの場所は「イビ之森」と呼ばれる場所で神聖な御嶽だったようです。

鮫川大主の拝所も最初はこの場所よりもう少し東側にあって、そこは鮫川大主の屋敷跡だったそうですが、地滑りが起きて埋まってしまったので、現在の場所に移されたそうです。

馬天御嶽の地図

南城市は史跡めぐりにはおすすめ

とまぁ2日目はこんな感じで終了です。

今振り返ってみると、さすがにこれは欲張りすぎのスケジュールですね。恩納村のホテルに泊まっていたのに17時過ぎまで南城市をウロウロしてただなんて、帰り道大変だっただろうなぁ。覚えてないけど。

恩納村のホテル→恩納マリンビューパレス【楽天トラベル】

でも、南城市は史跡の整備や案内がとても充実しています。

市役所に行けばたくさん史跡が載った散策マップももらえるので、沖縄の史跡めぐりをするならおすすめの地域ですよ。天気がいい日は海がめっちゃ綺麗です。

ということで、→3日目に続く…

この記事が気に入ったら
いいね ! をお願いします

スポンサーリンク
   

関連記事

コメントを残す

※メールアドレスが公開されることはありません。
※コメントは承認制です。送信していただいてから公開されるまで少々お時間がかかります。

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください