波に揺られて久高島からの南城市史跡散策【1月下旬の沖縄2日目】

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2015年1月27日から行った5日間の沖縄旅行2日目。この日は久高島と南城市を散策しました。

1日目に比べて寒さは若干和らぎましたが、冬の沖縄の曇り空は独特の雰囲気です。写真を載せましたので参考にしてください。

1日目の記事→1月下旬 沖縄の一番寒い月は本当に寒かった【旅行記1日目】

大波の船に揺られてグロッキー

この日は午前中しっかりと雨が降っていました。朝から久高島に行く予定だったのですが、風が強かったので船が欠航にならないかヒヤヒヤしたのを覚えています。

でも結局船は出航してホッと一安心かと思いきや、波の高いこと高いこと。それはもう揺れる揺れる。あれはもうバウンドですよ。船がバウンドしてました。

船酔いって、水平線とか陸地とか止まっているものが見えていると抑えられるもんなんですけど、この日は高速船の窓にバッシャンバッシャン波がかぶって、窓の外なんてひとつも見えやしねぇ!

私は緊張していてなんとか船酔いは免れましたが、夫はわりとグロッキーでしたよ。

さてこの日(2015年1月28日)の天気データは、

天気:雨のち曇り
最高気温:18℃
最低気温:15.4℃

午前中久高島にいる間はずーっと雨がパラついていたと思います。でも寒さは前日ほど感じなかったかな。

雨の中ガイドさんと久高島散策

この日の久高島散策は、ガイドを予約していました。ガイドをお願いしたのは久高島にある食堂「食事処けい」のご主人。

食事処けいの詳細【食べログ】

徳仁港まで車で迎えに来てくれて、島の隅々まで案内してくれました。

私たちが御嶽や歴史に興味があることを伝えると、私たちだけでは絶対に見つけられない場所にある御嶽とかグスク跡も教えてもらえました。

一か所とても印象に残ったのは、草木をかき分けて入った先に急に開けた場所があって、そこは樹々に覆われているだけで屋根も何もないのに雨に濡れないんです。

そこでガイドさんは「大昔の人はこういう場所で生活していたんですよ。」と教えてくれました。

なるほどなぁ。と感心したのと、まだそういう空間がこの島に残っていることに感動しました。

他にも、アマミキヨが腰かけた石だとか、今まで何度も通りすぎていた道端の石積みが実は御嶽だったりとか、新しい発見がたくさんありましたよ。

アマミキヨが腰かけた石(久高島)
アマミキヨが腰かけた石

ガイドさんと周る久高島散策はおすすめです。

帰りの船は穏やかだった

久高島散策の後は「食事処けい」でお昼ごはんを食べて、13時の便で安座真港へ帰ってきました。

帰りの船は風も波も穏やかで何事もなく帰ってこれましたよ。

曇り空の下琉球王国の史跡散策

この日は午後になると雨は上がって、風も少し和らいだように思います。

ということでこの日の14時ごろの気象データ。

気温:16.2℃
風速:8.9m/s
風向:北東

あれ?おかしいな。風がけっこう強かったみたいですね。でも前日みたいにヒーヒーいうほど寒かった記憶がないんです。

まぁ何はともあれ午後からは南城市の史跡散策。

余談ですが、この頃はまだ久高島にいった後も予定を入れていたみたいですね。久高島に行った後は気が浮ついているので最近は予定を入れないようにしています。

琉球王国の姫君と王子の墓

南城市の史跡散策でまず最初に向かったのは、琉球王国時代の姫君と王子の墓。

二人の墓は南城市富里の陸上競技場敷地内にあります。

そうそう。このとき陸上競技場の駐車場で、清掃作業のおじさんたちが地べたに座って休憩していたのを覚えています。なので気象データのわりには過ごしやすい体感だったんだと思います。空はガッツリ曇り空でしたけど。

さて、姫君の名前は百十踏揚(ももとふみあがり)。王子の名前は三津葉多武喜(みつばたぶき)。

百十踏揚と三津葉多武喜の墓(南城市玉城富里)
百十踏揚と三津葉多武喜の墓

百十踏揚の父は琉球王国の6代目尚泰久(しょうたいきゅう)王。彼女の母方の祖父は中城(なかぐすく)の城主、通称護佐丸(ごさまる)。そして彼女の夫は勝連城(かつれんぐすく)の城主阿麻和利(あまわり)です。

先日の記事の神宮寺のところで尚泰久王の話がチラッと出ましたが、

先日の記事→1月下旬 沖縄の一番寒い月は本当に寒かった【旅行記1日目】

ここで書いた「護佐丸・阿麻和利の乱」についてザックリ説明すると、尚泰久の命令で阿麻和利が護佐丸を討ち、これまた尚泰久の命令で王府軍が阿麻和利を討ったという話なんです。

すごいですよねぇ。琉球史上そうそうたるメンバーに囲まれた百十踏揚は、歴史の波に翻弄された人生を送ったようです。

そしてもう一人、三津葉多武喜は尚泰久王の次男であり、百十踏揚の弟。百十踏揚と同じく護佐丸の孫にあたるので、護佐丸が討たれたときにこの地に逃れてきたのではないかという説があります。

百十踏揚と三津葉多武喜の墓の地図

琉球国王・尚泰久の墓

そしてお次は噂の国王・尚泰久の墓。

尚泰久の墓が首里ではなくて現在の南城市にあるのは、尚泰久の没後しばらくして王府でクーデターが起こり政権が交替したからです。

なので元々首里にあった遺骨は子孫に守られながら最終的にこの地に移されたそうです。

昔の戦は根絶やしにとどまらず代々の墓まで荒らしに行ったというのはどこの国でもあったようですね。

尚泰久王の墓(南城市富里)
尚泰久王の墓

さすが国王の墓。香炉が蓮を象っています。

百十踏揚もしかり、尚泰久は琉球史上重要な人物と多く関わっています。

もし、琉球の歴史に興味があるけど、どこから手を付けたらいいのかわからないと思っているなら、尚泰久王から調べ始めると、いろんな出来事がつながっておもしろいと思います。

尚泰久王の墓の地図

琉球創世期の歴史探訪

次は南城市富里から車で少し移動して南城市玉城百名に向かいました。

玉城百名の辺りには、琉球創世期と関わりがあるとされる史跡や拝所がいくつかあります。

受水走水

まず最初に目指したは百名海岸近くの拝所、受水走水(うきんじゅはいんじゅ)。この場所は琉球の稲作発祥の地とされている泉です。

受水走水(うきんじゅはいんじゅ/南城市玉城百名)
受水走水(うきんじゅはいんじゅ)受水の拝所

写真の真ん中にある石碑には「受水」と書かれていました。…が、「受水」の石碑があるなら「走水」の石碑もあるんじゃね?と単純に考えて探してみたけど見つけられませんでした。

後で調べてみると、泉の東側が「走水」西側が「受水」だそうです。

この時はよくわからないまま行ったので、もう一度行きたいです。受水走水っていう名前の由来も、もっと調べてみたら何かありそうだし…

追記:行ってきました→親田御願-受水走水で行われた沖縄の伝統行事を見に行きました

受水走水の地図

このどよーんとした空を見よ!(ヤハラヅカサ)

そのまま百名海岸に出てヤハラヅカサの石碑を見に行きました。

ここは琉球開闢の神アマミキヨが降り立ったとされている場所です。

アマミキヨは琉球の地を創るために久高島に降り立ち、その後ヤハラヅカサへ降り立ったという伝説があります。

1月末の曇り空とヤハラヅカサ(南城市玉城百名)
天気悪い日のヤハラヅカサ

潮が引いていると石碑の側まで歩いて行けるんですけどね。

…っていうか天気わるっ!このどよーんとした空の重さよ。でも沖縄の冬の曇り空ってこんな感じが多いです。

一応この時点の気象データを見ておきましょうか。時刻は16時。

気温:15.8℃
風速:6.8m/s
風向:北北東

でした。空の重さに気が滅入って体感温度など覚えていません。

浜川御嶽

ヤハラヅカサがある百名海岸の山手、林の中にある浜川御嶽(はまがーうたき)。ここもアマミキヨにまつわる聖地です。

浜川御嶽(はまがーうたき/南城市玉城百名)
浜川御嶽(はまがーうたき)

ヤハラヅカサに降り立ったアマミキヨが、しばらくこの場所で暮らしていたと伝わる場所です。

ヤハラヅカサ・浜川御嶽の地図

大正時代の水場跡(仲村渠樋川)

さて時刻はもう17時になろうとしているのにまだ史跡散策を続けています。こんな時間まで遊んでいるなんて今では考えられないです。だってこの後恩納村のホテルまで帰らないといけないのに。

次に向かったは南城市玉城仲村渠にある仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)。樋川とはざっくり言うと集落の水源のこと。

仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー/南城市玉城仲村渠)
仲村渠樋川(なかんだかりひーじゃー)

この設備が完成したのは大正時代になってからだそうですが、昔は『うふがー』と呼ばれていたと案内板にあったので、この集落の産湯をくむ場所だったってことなんでしょうね。たぶん。

追記:「うふがー」は必ずしも産湯をくむ井泉ではないようです。漢字を当てると「大井泉」とか「大井戸」なんじゃないかと。思うに集落のメインの水場を指すのだと思います。

他の地域の樋川もいくつか見たことがありますが、ここはお風呂場があったり洗い場があったり設備がかなり充実していてなかなか見ごたえのある水場でした。

仲村渠樋川の地図

天気はどうでもよくなって佐敷の御嶽へ

この後、どういう訳か南城市佐敷新里にある馬天御嶽(ばてんうたき)まで移動していますねぇ…。といっても車で10分ほどですが、なぜそこに行ったのかは覚えていません。ちょっと道に迷ってた記憶もなきにしもあらず…。

こうやって車の移動がメインになると、あんまり天気関係なくなってくるんですよね。しかも17時過ぎているので青空とかそういうのも求めないし。

これがいい天気の日は夕日を見たいので急いでホテルに戻ろうとするんですけどね。

馬天御嶽

馬天御嶽は琉球を統一して琉球王国(第一尚氏王統)を築いた尚巴志の、おじいちゃんにあたる鮫川大主(さめがわうふしゅ)とその妻が祀られている御嶽です。

馬天御嶽内にあるイビの御嶽(南城市佐敷新里)
馬天御嶽内にあるイビの御嶽

もともとこの場所は「イビ之森」と呼ばれる場所で神聖な御嶽だったようです。

昔はこの場所よりもう少し東側に鮫川大主の屋敷跡があって、そこが拝所になっていたそうですが、地滑りで埋まってしまったので現在の場所に移されたそうです。

馬天御嶽の地図

とまぁ2日目はこんな感じで終了です。

今振り返ってみると、さすがにこれは欲張りすぎのスケジュールですね。あの時間から恩納村まで帰るの大変だっただろうなぁ。覚えてないけど。

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でも、南城市は史跡の整備や案内がとても充実しています。

市役所に行けばたくさん史跡が載った散策マップももらえるので、沖縄の史跡めぐりをするならおすすめの地域ですよ。天気がいい日は海がめっちゃ綺麗に見える地域です。

ということで、3日目につづく→今帰仁村を散策-旅行中初の日差しに感激【1月下旬の沖縄3日目】

1日目の記事→1月下旬 沖縄の一番寒い月は本当に寒かった【旅行記1日目】

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