2018年7月、沖縄本島北部、今帰仁村にある今帰仁城跡(なきじんじょうあと)に行ってきました。
今帰仁城跡は、沖縄の世界遺産『琉球王国のグスク及び関連遺産群』のうちの一つです。
グスクとは、ざっくり説明すると、沖縄が沖縄県になる前の琉球王国が成立するよりもさらに前から、人々の祈りの場だったりその土地のリーダーが拠点にしていたりした場所のこと。
今帰仁城跡も、沖縄では今帰仁グスクとか北山グスクと呼ばれていました。
さて、今回の今帰仁城跡散策は、ラッキーなことに人がとても少ない日で、ゆっくり見学することができました。
写真をたくさん撮ったので、浅めの雑学を織り交ぜながら今帰仁城跡の見どころを素人なりに案内します。
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現役時代も正門だった今帰仁城跡の平郎門
現在、今帰仁城跡有料エリアの入り口になっている、平郎門(へいろうもん)。

平郎門(へいろうもん)
今帰仁グスクが現役だった頃も平郎門がグスクの正門でした。そして門をくぐった先は細くて険しい坂道がグスク内まで続いていたそうです。
現在のまっすぐ続く石の階段は昭和に入ってから作られたものですが、実は、在りし日の細く険しい道(旧道)が今も階段の横に残っているのです。

階段を右に逸れると旧道
もし足腰大丈夫そうなら一度旧道を登ってみてください。

旧道は狭くて険しい
この道がこんなに険しいのは、敵が攻めてきても1列にならないと通れないようにとか、1人が倒れたら隊列が乱れて進めなくなるように狭くしたと聞いたことがあります。
今帰仁グスクは要塞の役割も持っていたんですね。
行事や祭祀を行っていた広場 大庭(うーみやー)
平郎門から続く坂を登り切ると、大庭(うーみやー)という広場に出ます。大庭は行事や祭祀を行う広場だったそうです。
大庭に入ってすぐ左に石碑が建っているのですが、現役時代、石碑の後ろには北殿という祭祀が行われる建物があったそうです。(『沖縄の城跡』(1982年)新城徳祐著p.39)

この石碑の後ろには北殿が建っていた
写真右端の立入禁止立札の奥には、ひっそりと香炉が置かれていました。現在も参拝に訪れる人がいる場所だそうです。
大庭にある不思議な泉カラウカー
順路に従って大庭内をそのまま進むと、右手に見えるのがカラウカー。

カラウカー
カラウカーとは、昔、泉があったところだそうで、女官が髪を洗ったりもした泉だそうです。
とだけ聞くと、へー。で終わってしまいそうなんですけど、カラウカーがある大庭を見渡してみると、この場所は、ほぼ山のてっぺんにあるんですよね。
常時水をたたえていたというカラウカー。果たしてその水はどこから来ているのか。と考えると、不思議な泉です。
今帰仁城主が住んでいた場所 主郭
大庭から一段高くなっている広場が今帰仁グスクの主郭です。
今帰仁里主所の火之神の祠
大庭から主郭に入ってすぐに見えるのが、今帰仁里主所(なきじんさとぬしどころ)の火之神の祠。

今帰仁里主所の火之神の祠
この祠は琉球王国の第二尚氏時代に配置された北山監守の祖先や守り神が祀られている拝所…だと思います。たぶん。
北山監守というのは、今帰仁の最後の王が討たれて琉球がひとつの国として統一された後(第一尚氏時代)、いわゆる首里の出城となった今帰仁グスクに派遣された役人のことです。役人といっても国王の身内だったので、かなり重要なポジションの人たちですよね。
後に琉球王府内で政権交代がおき、第二尚氏時代になっても今帰仁グスクには北山監守が派遣されました。第二尚氏三代目、尚真王の時代からは尚真王三男の家系が代々北山監守を務めたそうです。
つまり、今帰仁里主所の火之神の祠は尚真王三男にルーツを持つ人たちが拝みに来る祈りの場。だと素人なりに理解しています。間違っていたらすみません。
祠の場所は何度か移動しているみたいですが、ここは今も現役の拝所です。
翼廊付きの建物があった今帰仁城主の屋敷跡
火之神の祠に向かって左手には正殿跡がありました。城主の屋敷跡ですね。

正殿跡
沖縄の史跡をめぐっていると、グスク以外にも誰かの屋敷跡をたくさん見ますが、みんな小っちゃいです。それを見ると、昔の人は今より全然体が小さかったんだなと思います。
今帰仁グスクの正殿は、翼廊付き(よくろう)の建物だったそうです。翼廊がある建物といえば、10円玉の裏側に描かれている建物が有名ですが、この場所にそういう建物があったなんてイメージしにくかったです。復元模型があったらいいのにな。
今帰仁城跡の絶景ポイント御内原(うーちばる)
主郭の正殿跡を通り抜けると、御内原(うーちばる)です。御内原は、女官部屋があった場所だそうです。
そしてここは今帰仁城跡一番の絶景ポイント。

御内原からの景色
この日は台風直後でまだ波が高く、雲も多かったけど、それでもこの美しさ。真夏のパキッとした水平線が見える日だったら、Oh! wonderful! な景色が見られることでしょう。
気が済むまで絶景を堪能したら、少し御内原散策を。
今帰仁グスク最高の聖地テンチジアマチジ御嶽
主郭から御内原に入る小道のすぐ右手には、テンチジアマチジとよばれる御嶽(うたき)があります。

テンチジアマチジ
ここは、今帰仁グスク内で最も神聖とされる御嶽です。
テンチジアマチジは、琉球開闢神話の中でアマミキヨが最初に作った7つの御嶽の一つ。なのでもしかしたら、今帰仁グスクが築かれるよりもっと前からある、この土地の聖地かもしれないです(ちゃんと調べてないですが)。
ここには昔、今帰仁グスクをお守りしている霊石が置いてあったそうです。今帰仁グスクの最後の王・攀安知(はんあんち)が、琉球を統一した尚巴志(しょうはし)という人物に攻め込まれたとき、この霊石に向かって、あんたはなぜ私を守らぬ!と叫んで斬りつけた。という伝説が残っています。
霊石は近年になって盗まれたそうで、今置いてあるのは、似た感じの石だと聞きました。
それに少し前まで、ここには大きな木がが生えていて神秘的な雰囲気があったと聞いた気がします。落雷で木は折れてしまったんだとか。
今帰仁城跡の昔の姿を見渡せるオススメポイント
テンチジアマチジ御嶽のすぐ側には“ここオススメ”という案内板が置かれていました。

ここオススメ
何がオススメなのか、辺りを見回してみると、わかりました。たぶんこれですね。

“ここオススメ”からは城壁がよく見える
志慶真門郭(しげまじょうかく)の城壁がよく見える場所だから、オススメなんだと思います。
志慶真門郭の城壁は、ほぼ昔のままの姿を残している貴重な場所なんですって。
御内原の絶景を眺めながら妄想するいにしえの景色
御内原はいわゆる大奥みたいな場所で、男子禁制でした。
私はにわか歴史好きなので大奥をイメージするより、昔NHK-BSで放送されていたドラマ『テンペスト』を思い出してイメージを膨らませているのですが…。(時代はかけ離れているけど)
もし今帰仁グスクの御内原がドラマ『テンペスト』で見たような暮らしだったとしたら、女性たちは毎日こんな素敵な景色を見ながら、例えば機織りとか歌を詠んだりしていたのかなぁ。って想像してました。

御内原の女性たちもこんな景色を見ていたはず
御内原の真下には、大隅(ウーシミ)という、兵士や兵馬を訓練する場所があって、

御内原から見下ろす大隅
今ほど丸見えではなかったと思うけど、ここから馬を走らせる音とか、何かしらの武術を鍛える掛け声とか、聞こえていたのかなぁ。と。
志慶真乙樽の歌碑から妄想する美しすぎる光景
妄想ついでに御内原から大庭(うーみやー)に出てすぐの場所にある歌碑の話も。(先ほど北殿跡と紹介した場所の石碑のことです)

志慶真乙樽の歌碑
これは志慶真乙樽(しげま うとぅたる)の歌碑で、ここには、
今帰仁の城 しもなりの九年母
志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい
と刻まれているんです。
その意味は、
今帰仁のグスクに、時期を遅くして(待ちわびた)跡継ぎが生まれた。志慶真乙樽が、九年母で作った首飾りを、跡継ぎにかけたり外したりして遊んでいる。
というような意味だそうです。
ここに出てくる時期を遅くして生まれた跡継ぎというのは、正室が産んだ男の赤ちゃん。志慶真乙樽は側室だった女性の名前で、めっちゃ美人だったみたいです。九年母というのは、ミカンとか、沖縄ではシークヮーサーのことも九年母といいます。
あんな絶景が見える場所で、遠くから馬の駆ける音や男たちの気合い、風の音、鳥の声とかに包まれて、めっちゃ美人な女性が、(正室が抱いていたかもしれない)赤ちゃんと、きゃっきゃ遊んでる姿を想像したら、なんて美しい光景なんだろう。って思いました。
ちなみに時期を遅くして生まれた跡継ぎは、後に琉球史上重要な人物たちの祖先となるのですが、その話はまたいつか。
今帰仁グスクの家臣たちが生活していた志慶真門郭
さて、一度主郭まで戻って火之神の祠に向かって右手の階段へ。その階段を下りたところにある広場は、志慶真門郭(しじまじょうかく)です。沖縄では「門」という字を「じょう」と読むことがあります。
志慶真門郭は、今帰仁グスクの家臣たちが生活していた場所だそうです。
志慶真門郭からは、建物の跡がいくつか発掘されたそうで、子どものおもちゃも出土しているそうです。
ということは、今帰仁城主に使える人たちが家族で生活していた場所なんですね。ここで、子どもがきゃっきゃ走り回っていたのかなぁ。
台風で崩れた石垣は現代になって積み直した部分
そして今回、志慶真門郭でとっても貴重な写真が撮れたので、まずはそれをご覧ください。

台風で主郭の城壁が崩れていた
でろーん。
2018年7月に接近した台風7号の雨で、主郭の石垣が崩れてしまったんだそうです。
私はこのニュースを聞いたとき、グスクの石積みが台風で崩れるなんて…。とけっこうショックでした。こことは別のグスクの話ですが、グスクの石積みは震度5の地震が来ても崩れなかったと聞いたことがあったので。
でも、台風で崩れたこの部分は現代になって積み直した場所だそうです。ならば納得。しょうがないことです。
(当時のニュース→世界遺産の今帰仁城跡で石垣崩れる(2018年7月4日)【琉球朝日放送】)
今帰仁グスクの裏門 志慶真門
志慶真門郭にはグスクの外にある志慶真村に続く門があったそうです。それが志慶真門(しげまもん、しじまじょう)。今帰仁グスクの裏門です。
今もその門があった場所はあるのですが、

志慶真門跡
ここの石垣も崩れて立ち入り禁止になっていました。
志慶真門はその昔どんな姿をしていたのか、まだ詳しく解っていないのでそもそも復元していなかったみたいですけどね。
さて、今帰仁城跡の有料エリアの見どころ解説はこれくらいにして、平郎門から駐車場方面へ。
今帰仁城跡有料エリアの外にも見どころが
今帰仁城跡は有料エリア以外にも、まだまだ見どころがありました。
例えば、今帰仁グスクの周りには集落があったそうで、現在もいくつか屋敷跡が残っています。
駐車場から近くて、比較的行きやすい場所にあるのが、今帰仁ノロ殿内(なきじんのろどぅんち)火之神の祠。

今帰仁ノロ殿内火之神の祠
ここは、周辺集落の祭祀をつかさどる今帰仁ノロの屋敷跡です。昔、人が住んでいた場所ですね。現在も神聖な祈りの場です。林に囲まれた敷地の雰囲気が、なんかいい感じです。
場所はだいたいこの辺。
グスク周辺に集落があった時代のイメージは、今帰仁村役場のサイトに想像図が載っていたのでリンクしておきます。
集落跡の他にも、ハンタ道というグスクに行くための山道や、物見台跡など、グスク周辺には歴史ある場所がまだまだあります。私もいつかじっくり時間をかけて巡ってみたいなぁと思っているところです。
一国の王が居城していた?!今帰仁グスクの魅力
今帰仁グスクの歴史はとても長いので、私はまだまだ知らないことだらけです。でも、調べているとその歴史の中にいくつもの物語が伝わっていて、それがドラマチックでおもしろいんです。ただ、深く知ろうとすると急に煙に巻かれたように話がかみ合わなくなったり、諸説入り乱れてきたりしてわけわからなくなる、もどかしいグスクでもあります。
それでこの記事を書きながらふと気づいたのですが、今帰仁グスクって実は一国の王が居城していたグスクなんですよね。
琉球が、中山・南山・北山の3つの勢力に分かれていたころ、中国明王朝の皇帝からのお誘いで、最初に中山、それから南山、そして北山がそれぞれ冊封体制に加わった。それによって、それぞれが明国と公式に貿易ができるようになったので、国際的には一つの国として成立したことになる。的な話を読んだ気がします。
中山王や南山王と同じように、当時の今帰仁城主も明国から“王”の称号をもらって、北山王国は三世代続いたというんだから、これってすごいことだよね…。と思い直しているところです。といっても、北山はあんまり進貢貿易に熱心ではなかったらしいですけどね。
沖縄の歴史を調べていると、本島南部の南山地域では激しく領地争いをしていた一方で、本島北部の北山地域は、一貫して皆が今帰仁グスクを目指している(狙っていた)イメージがあります。
南山地域が平面的な土地だったのに対して、北山地域は山が多い土地だったからという要素も大きいとは思うけど、それだけ、今帰仁グスクには支配者が求める好条件が揃っていたのかもしれないな…とか。そして時代と共に、今帰仁グスクを手に入れることの意味が大きくなっていったのかな…、なんて想像しています。
いや~。歴史ロマンかき立てられますね。現代人にとっても魅力的あふれる、それが今帰仁グスクなんですね。
→今帰仁城跡 城跡観覧料20%割引クーポンあります【アソビュー】
(関連記事→沖縄の世界遺産-5つのグスク(城))
(この旅行のダイジェスト&体験記事一覧→夏の沖縄旅行を本部町拠点にしたらめっちゃ良かった)


コメント
とても興味深く、面白かったです。
次に沖縄に行くときにはぜひ訪れてみたいと思いました。
いつも楽しみに読ませていただいております^^
沖縄の文化、歴史は興味が尽きないですね!
ルッコラさん
とても長い記事だったのに、読んでいただけて嬉しいです。
ぜひぜひ、今帰仁グスクへ遊びに行ってみてください。景色も風も気持ちいいですよ。
沖縄の歴史って、調べれば調べるほどおもしろい話に突き当たるんですよね。興味が尽きないって、ホントそう思います。
いつもありがとうございます^^