1月下旬、5日間の沖縄旅行4日目(2015年1月30日)。
この日は沖縄本島中部で史跡めぐりをしました。行ったのは、うるま市→沖縄市→北中城村→読谷村と、なかなか広範囲。
天気はというと、また冬の曇り空へ逆戻り。前日は青い海が見られたのになぁ。
前日(3日目)の記事→今帰仁村を散策-旅行中初の日差しに感激【1月下旬の沖縄3日目】
1月なのに屋外で弁当を食べられた
冬の曇り空へ逆戻りした日でしたが、午前中はまだ青空が見えていました。
最初に訪れたグスク近くの広場で買ってきたお弁当を食べたんです。1月下旬に屋外でお弁当を食べられるくらいの過ごしやすさだったんですね。
でも風は強くて、お弁当の蓋とかお箸の袋とかを風で飛ばないように工夫したのを覚えています。
ということで一応この日(2015年1月30日)の観測天気。
天気:晴れ後雨
最高気温:20℃
最低気温:15℃
安慶名グスクの石積みは一見の価値あり
さて、最初に訪れたのはうるま市安慶名の安慶名グスク。
安慶名グスクは、グスクや石積みに興味がある方にめっちゃおすすめしたいグスクです。
グスクの裏側には闘牛場があって、そちらからグスクを眺めると自然の岩山と石積みとの境目がわからないくらい精巧に積み上げられた城壁を見ることができるんです。
このグスクは初代伊波按司の息子・安慶名大川按司が築城したといわれています。
伊波按司は最近このブログにもちょいちょい登場していますね。
関連記事→沖縄本島の史跡めぐり-後編【うるま市】
安慶名大川按司の子孫には阿麻和利(あまわり)や大城賢勇(うふぐしくけんゆう)など、琉球の歴史に名を残した人物がたくさんいます。
安慶名グスクに登ってみる
せっかく来たので勇気を出してグスクに登ってみました。安慶名グスクは観光用に整備されていないのでとても険しく、登るにはかなり勇気が要ります。
グスク入り口は闘牛場の反対側、駐車場後方の芝生広場奥にありました。
狭い石段を登ると、自然石をくり抜いたところに切り石を組み合わせて作られた城門があります。
自然石をくり抜いて作った城門といえば南城市の玉グスク(玉城/たまぐすく)もそうでした。切り石にもたれかかるような三角の入り口は斎場御嶽の三庫理(さんぐーい)を思い出します。
そしてすみません。グスク内の写真は撮り忘れてしまいました。
グスク内にはちょっとした広場が2つくらいあって、拝所や香炉が置かれている場所(お墓?)がありました。
おそらくグスクの時代にはそこに屋敷が建っていたと思うんです。でも私にはすごく狭い敷地に感じました。昔の人は小さかったんだなぁと実感する瞬間ですね。
そして今では住宅が広がる城下の景色も、当時は何が見えたんだろう。と、昔の趣が残るグスクに来るといつもそんなことを考えます。
安慶名グスクの場所
グスク散策中に雨が降り始める
安慶名グスクを闘牛場から眺めていた時には青空が見えていたのに、グスク内を散策中に向こうの空から灰色の雲が押し寄せてきました。
時刻はちょうど10時ごろ。この頃の気象データは、
気温:19.3℃
風速:4.9m/s
風向:北北東
そしてついにパラパラと雨が降り始めます。
越来グスクに期待しすぎて…
雨が降ってきたので慌てて車に逃げ込んで次へ移動。
次に向かったのは沖縄市城前町の越来グスクです。
越来グスクに関しては事前に歴史本で勉強していて、一方的にものすごく期待を膨らませていたグスクでした。
なにしろ最初はチンプンカンプンだった琉球の歴史を初めておもしろいと感じるきっかけになった人物、尚泰久王が、即位する前に住んでいたグスクだったからです。
尚泰久王は、琉球を統一した尚巴志の七男でした。だから本来なら王位に就くはずのない立場。だけど歴代の王が短命だったり内部抗争があったりで、尚泰久は40歳にして予想外に王位に就くというひょんな出世をしているんですよ。
尚泰久王を調べていておもしろいというのは、即位した後に起こる人間ドラマのことなんですけどね。
関連記事→波に揺られて久高島からの南城市史跡散策【1月下旬の沖縄2日目】
その他、クーデターを起こして政権を奪取した尚円王も、若い頃はこの越来グスクで尚泰久に仕えていたそうです。そしてここで能力を認められて王宮に上がれたという話もあって。
なので私にとって越来グスクは出世運の強いグスクというイメージで、見に来るのをとても楽しみにしていました。
だけど実際に行ってみたら…
ドーン!
なんじゃこりゃー!と正直思いました。
普通の公園に拝所があるだけやん。とその時は思ってしまった。
でも実はこれ、戦争で破壊されてしまったので今こうなっているみたいですね。戦争とはつくづく愚かなことだと思ったし、これも歴史なんだということですよね。
それにここに着いた時点で普通に雨が降っていて、グスク周辺までじっくり散策できなかったし。晴れた日にもう一度行ってみたらまた違って見えるかもしれないですね。
ぜひもう一度行きたいです。
越来グスクの場所
想像が膨らむ仲順大主の墓
次に向かったのは北中城村仲順にある仲順大主の墓。
仲順大主(ちゅんじゅんうふしゅ)というのは、この仲順地区の草分け的な人物だそうです。
琉球が統一されるもっともっと前の古い時代に、舜天(しゅんてん)という王がいて、舜天王統は3代目まで続きました。3代目の王は義本王(ぎほんおう)。
仲順大主は、義本王が王権を禅譲した後旅に出て仲順にたどり着いたとき、義本王のお世話をしたといわれています。
そしてこのお墓の前から見える景色は中城湾を一望できる絶景です。
なんだかこの景色を見ていると、前日に見た今帰仁村の百按司墓を思い出します。
百按司墓のように、港に入ってきた交易船を見渡せる場所にわざと造ったのかなとか、ということは仲順大主は相当な権力者だったのかなとか…。想像が膨らみますね。
前日の記事→今帰仁村を散策-旅行中初の日差しに感激【1月下旬の沖縄3日目】
仲順大主の墓のすぐ近くには、舜天王統の位牌やお墓、それに義本王の妃と義本一族のお墓もあって、この辺一帯と舜天一族との深い関わりを感じます。
義本王はただ単に旅をしてここにたどり着いただけではなさそうな気もしてくるのですが…。
なかなかミステリアスな場所です。
仲順大主の墓の場所
っていうかこのどんより雲を見よ!
っていうかさっきの写真をもう一度載せますね。
2015年1月30日14時ごろ、仲順大主の墓の前で撮った写真。
天気悪っ!
もうこんなんばっかりですよ。今回の沖縄旅行。
一応この時点の気象データも載せておきます。
気温:17.1℃
風速:7.4m/s
風向:北北東
大切に守られていた阿麻和利の墓
さて、この日最後に向かったのは阿麻和利(あまわり)の墓。
阿麻和利の墓は読谷村楚辺の住宅街の中にあります。
私有地だと聞きましたが、読谷村の史跡マップにも載っているので私たちがお参りしても大丈夫だと思います。きちんと手入れされていて大切に守られているんだなと感じました。
阿麻和利は現在のうるま市勝連南風原にある世界遺産「勝連グスク(勝連城跡)」の11代目城主でした。
関連記事→沖縄の世界遺産-5つのグスク(城)
護佐丸・阿麻和利の乱で琉球王府軍に討たれたことになっていますが、一説では生き延びて、生まれ故郷の屋良(嘉手納町)まで逃げてきたという話があります。そして楚辺(読谷村)までたどり着き、その後追っ手に捕まって討たれたとか、静かに余生を過ごしたとかいう説があります。
阿麻和利は琉球史上長い間、王を騙した上に政権を乗っ取ろうとした悪者みたいな人物像で描かれていたそうです。
でも阿麻和利が治めていた勝連一帯では阿麻和利を讃える唄がたくさん残っていたことが知られるようになり、実は阿麻和利は人気者過ぎて王府に滅ぼされたんじゃないかというのが最近では通説だそうです。
阿麻和利の墓の場所
ということで4日目はこれにて終了。
旅の後半になるとだんだん車移動が多くなってきます。本当は車を降りて歩いた方が意外な発見ができるんですけどね。
沖縄旅行はだいたい4日目あたりに疲れがピークなんですよ。なのでしょうがないですね。
…。
とここで重大発表。
最終日は記憶なし
わたくし、5日目最終日の写真を1枚も撮っていなかったみたいです。そして記憶がありません。
最終日(2015年1月31日)の気象データを見てみると、
天気:曇時々雨
最高気温:15.7℃
最低気温:13.9℃
最大風速:9m/s(風向:北)
だそうです。
この様子だとおそらく最終日と曇り空と寒さでテンションが低く、黙々と片づけをして黙々と買い物をしてやけっぱちのビールを飲んで帰ってきたのではないかと思います。
何もお伝えできず申し訳ありません。
ということで、2015年1月下旬沖縄5日間の旅行記はこの記事が最終回です。
長々と書きましたが、要するに旧暦12月8日ムーチーの時期の沖縄は、一年の内で一番天気が悪く一番寒い時期だったというお話しでした。
でも北風と小雨対策さえ万全なら、史跡めぐりにはとても向いている季節だと思います。
関連記事→冬の沖縄に旅行するときの服装
1日目の記事→1月下旬 沖縄の一番寒い月は本当に寒かった【旅行記1日目】
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