沖縄好きの間では知る人ぞ知る、ニッチな沖縄の魅力を発信するサイト『DEEokinawa』さんの記事を、再び書きました。
今回のテーマは、「沖縄の川」についてです。
→川から見える沖縄の今昔-今帰仁・本部編【DEEokinawa】
7月の沖縄旅行で見に行った、本部と今帰仁の川について、自ら「書かせてください!」と申し出たものの…。う~ん。今回はまとめるのが大変でした。まだ調べものの途中みたいな感じで、前回みたいにこぼれ話が思い浮かびません。
前回みたいに→DEEokinawaさんの記事を書きました&こぼれ話など
とは言いつつ、こぼれ話とまではいかないけれど、余談を少し…。
志慶真川で見落としちゃった場所
志慶真川について調べている時に知ったのですが、DEEokinawaさんの記事に載せた写真のこの場所、
ここの近くに、近くにというか、ほぼここに、志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の墓があるらしいです。
志慶真乙樽というのは、以前、今帰仁グスクを紹介した記事にもチョロっと書きました。今帰仁グスクが栄えていた時代に側室だった女性で、絶世の美女だったという歴史上の人物です。
以前の記事→今帰仁グスク(今帰仁城跡)の見どころを自分なりに案内してみる
いつも歴史上の人物のお墓を見つけたら、勉強させてください。写真を撮らせてください。ってご挨拶して記録に残しておくんですけどね…。気づかずに素通りしてしまった気がします。
ま、それもご縁ですね。次回に残しておきます。
志慶真乙樽の墓の場所
船が川を遡る?
川について調べている時に、ずっと疑問に思っていたことがありました。
それは、船が川を遡るって、どうやって??というところです。
これに関しては、今もまだ調べものの途中なんですけど、一つは、DEEokinawaさんの記事にも書いたように、川というよりも入江だったということで納得できました。
もう一つは、帆船であれば、風を操ることで遡上できたのではないか。とも考えています。
それともう一つ、なるほど!と思った一文があります。
このあたりに潮がさし上がってくると、大井川の流れもゆるく、水車もぴったり止まり、しんと静まりかえったのである。【『わが故郷 今帰仁-宿道と津口をたどる』(仲宗根政善著)より抜粋しました。】
この一文は、今帰仁村仲宗根の国道505号線沿いについて、昔の風景を描いた文章の中にありました。
現在今帰仁村のAコープがある辺りか、もしくはもう少し内陸辺りに、昔は水車があったそうです。それで、潮が満ちてくると、水車が止まったというのです。
潮が満ちて川の流れが止まったら、船も上がってこれますよね。なるほど~。と思いました。
本部町並里ってあの
満名川の項で登場した本部町並里って、以前このブログで紹介したアセローラフローズンがある所です。
以前の記事→本部町のアセローラフローズンはもっと有名になればいいと思う
沖縄も、もうそろそろ暑さが和らぐかな?と思うので、これからの季節は、アセローラジュースとかソーダがおいしそうですね。
ジュース片手に散策してみてもおもしろいと思います。案内板とか何もないけど。
DEEokinawaさん経由で来られた方へ
DEEokinawaさん経由でこのブログへ来てくださった方。
せっかく来てくださったのに、かつお節がパリッパリだのピーマンがうまいだの、Deeさんに投稿したようなのとは全然違うジャンルの記事ばかりで、すみません。
このブログの『沖縄の雑学』というカテゴリーで、川の話っぽいジャンルの記事を少し書いています。ほんとに少しです。
これから徐々に増やしていきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。
しかしまぁアレですね、もっともっと現地を何度も見に行って、歩いてみたり話を聞いたりして、そこから膨らませた方が、もっと軽快なリズムで書けるんだろうな。と思いました。うん。現地調査を、もっとたくさんしたいですね。
それに今回はちょっと文字数が多かったですね。自分で読んでても脱落しそうになりました。最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございました。
なんだろう。わたし。恐縮しきりだな。
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