沖縄B級ポータル-DEEokinawaというサイトで、記事をひとつ書かせてもらいました。
”DEEokinawaというサイトで”と、ヨソヨソしい紹介をしましたが、沖縄県内外を問わず、有名なサイトですよね。ちょっと今ごろになって緊張してきました。記事の内容は「竜宮神について」です。
→振り向けば竜宮~竜宮の拝所コレクション~【DEEokinawa】
竜宮神というネタは、編集部の方とやり取りをしつつ、軽いノリで決めた題材で、「ここも港!あそこも港!こんなところも意外に港!」ぐらいの雑な感じの内容になるのかなぁと、私の中では思っていたのですが、意外や意外、いろんな知らなかったことが次々見えてきて、調べていてちょー楽しかったです。
新しい発見が多すぎて、書きたいことを省くのが大変でした。
こぼれ話
DEEさんの記事には書ききれなかったけど、資料を読みながら、いいなぁ。おもしろいなぁ。と思ったこぼれ話を少しだけ紹介しますね。
戦前の沖縄の海岸風景
辺野古の竜宮神について調べているときに、戦前の海岸の風景を表現した一文がありました。
天気の良い日にはいつも山原船がピシ近海を通過する風景は子供時代の風物詩であった。満潮時に山原船が悠然と船体を傾けながら滑走しいつものクチからイノーに進入している勇壮な帆船を眺めていると思わず胸の高鳴りをおぼえたものだ。【南島の地名第6集『名護市辺野古の海岸海域素描』島袋伸三より抜粋しました】
ピシ=海岸に広がるサンゴ礁、クチ=サンゴ礁の切れ目、だと思います。
この文章は、論文集(?)みたいな冊子の中の一節に書かれていたのですが、辺野古ビーチから見える海岸の向こうに、大きな帆船が過ぎて行く景色って、今の今まで想像したことがなかったんですよね。
沖縄の海と帆船といえば、琉球王国時代の屏風絵のイメージしか持っていなかったので、とてもセピアな印象で、何百年も昔の話だと思っていました。でも、さっきの一文を読んだら急にカラフルに見えてきて、いい景色だなぁと思いました。

この景色の中に帆船が見えたのかも
そういう景色は、辺野古だけじゃなくて、沖縄のいろんな海岸沖で見えていた風景なんだろうなと思います。
山原船とは少し違うタイプの船かもしれないのですが、戦前に活躍していたマーラン船を復元されている方がいるそうで、船の形など参考になりそうな記事を見つけたので、リンクしておきますね。
→琉球王朝時代からの造船技術を後世に伝える 合資会社 越来造船【うるま時間】
糸満の街並み
もうひとつ、書ききれなかった感動ネタは、糸満の街並みの今昔です。
去年だったか朝日新聞社で発見された戦前の沖縄写真の中に、糸満の風景もたくさん写っていて、『沖縄1935』という写真集が発売されています。
そこに写っていた路地は、今とは景色が全然違うけど、道自体は昔のままなんですよね。写真集と同じ写真を、ネットでも見られるのでリンクを貼っておきます。
→糸満の路地【沖縄1935写真でよみがえる戦前:朝日新聞デジタル】
リンク先の写真は、今の糸満市糸満の池端地区で、西新地ン門(にしみーじんじょー)と呼ばれる路地だそうです。下のマップの町端区公民館の南側を通る道を、県道256号線から撮った写真のはず。
それで、現在の西新地ン門の写真を、私は持っていないのですが、参考までに、現在の糸満の街並みはこんな感じ。

高台から見た現在の糸満の街並み
写真手前側の中央付近に、漁港へ続く路地があるのが見えますでしょうか。路地を拡大してみると、

糸満港近くの路地
こういう感じの路地です。
現在写真のこの路地は、鍛冶屋門小(かんじゃーじょーぐゎー)と呼ばれる路地ですが、今昔のイメージは伝わるかなと思います。
戦前のこの路地は、県道256号線側からそのまま海に続く砂地だったんですね。
『沖縄1935』の写真を見ると、路地の先には水平線が写っていました。そういうのを見て、すごいなー。おもしろいなー。と感動していたわけです。
さて、ついつい熱く語ってしまいましたが、こんな具合におもしろい発見がいくつもあって、DEEokinawaさんの記事を書くのは、とても楽しい時間でした。
えー!ならばあの場所、もう一回見に行きたいー。とか、別の角度からも写真撮りたいー。って思うこともたくさんあって、大阪からの距離も感じましたけどね~。
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