ブラタモリの公式サイトで沖縄ロケの放送内容がアップされましたね。放送日は(2016年)2月27日と3月5日だそうです。
ブラタモリが沖縄でロケをしていたという噂は本当だったんだ!しかも2週連続沖縄だなんて素敵すぎる。
しかし当然ですが、私が妄想していた内容はてんで外れていました。チャンプルー文化だとかなんとか…恥ずかしい…。
妄想記事→ブラタモリが沖縄に?!放送内容を妄想しつつ沖縄の魅力を再確認した話
でも空手の話は当たりでした。って、道場に行っていたと聞けば誰でもわかりますね。
ということで今日は、解禁された予告編をもとにブラタモリの放送内容を再び予想しつつ、沖縄の歴史を目一杯知ったかするという浅い記事です。
【追記】放送後にロケ地のおさらい記事を書きました。
首里編はこちら→ブラタモリ沖縄ロケ地マップ-首里編
那覇編はこちら→ブラタモリ沖縄ロケ地マップ-那覇編
ブラタモリ沖縄1回目のテーマは「サンゴ」
ブラタモリ沖縄の1回目のテーマは「サンゴ」だそうです。
サンゴかぁ…。サンゴで思いつく歴史的な背景といえば。
首里城が築城されたころ、尚巴志(しょうはし)という人物が、琉球各地の勢力を統一しました。
それ以前の琉球は、激しい勢力争いが繰り広げられていた戦国時代だったそうです。
琉球内の戦があんまり激しいので、当時進貢貿易をしていた明国の皇帝から「あなたたち、いい加減に仲良くしなさい。国民が困っているじゃないか。」と忠告されるほどだったとか。
なのでそういう時代に造られた「グスク(城)」には、要塞の機能が必要で、グスクを造るには水が湧く場所であることが必須だったようです。いざという時は籠城しないといけないし。
それでサンゴの話に戻りますが、戦国時代よりもーっともーっと太古の時代、琉球は海の底でした。
そしてその海底にあったサンゴ礁は、時間をかけて琉球石灰岩となり、めっちゃ水はけのいい地盤の島ができました。
水はけがいい島ということは、水が溜まる場所はとても貴重だったはず。そして、要塞機能を備えたグスクを造るには水が湧く場所であることが必須で…。それでえっと…。
書きながら混乱してきたので、この辺でやめておきます。予告編を見ていてこんな感じの内容になるのかな。なんて想像しました。
しかし空手道場でもロケしていたというから、サンゴと空手って、どうつながるんだろう。
【追記】こうつながりました。→ブラタモリ沖縄ロケ地マップ-首里編
2回目のテーマは「那覇が2つ」
ブラタモリ沖縄2回目のテーマは「那覇が2つ」。
戦後に那覇が移動したという話だそうですね。戦後の話になると、私はまったくわかりません。
ただ、琉球王国時代の那覇は浮島といわれる小島で、首里へ行くには船で海峡を渡らないといけなかったそうです。それを明から来た懐機(かいき)という人物のアドバイスで、長虹堤(ちょうこうてい)という橋をかけました。
今回ブラタモリの噂を聞いたときに、その長虹堤の痕跡をたどるのかなぁと一瞬思ったんです。でも長虹堤付近の目撃情報は見かけなかったしなぁ…。
一度は歩いてみたい道なんですよ。長虹堤。
現在の地図で見ると那覇市牧志の崇元寺橋から、ゆいレール沿いの道を一本南に入った道が、長虹堤の跡なんですって。
【追記】長虹堤付近、歩いてきました。体験記→「牧志村」を歩く-古地図を頼りに那覇散策その1【沖縄一人旅2日目】
あと、「御物城(おものぐすく)」も見に行ったようですね。御物城はゆいレールに乗っていると、奥武山公園を通過するときに一瞬見えるんです。いつか行ってみたいと思っていたのですが、基地の中なんですね。
負け惜しみでしかないですけど、御物城の対岸にある三重グスク(みーぐすく)なら行ったことがあります。ここも離れ小島だったそうです。
さて、目一杯知ったかぶりをしたつもりですが、たいしたことなかったですね。
ちなみにここで書いた歴史の話がすべて正しいかどうかはわかりません。ただ私はこんなふうに理解しています。程度に思ってください。
放送を見て勉強します。
【追記】放送後におさらい記事を書きました。
首里編はこちら→ブラタモリ沖縄ロケ地マップ-首里編
那覇編はこちら→ブラタモリ沖縄ロケ地マップ-那覇編
【追記】ブラタモリでタモリさんたちが訪れた場所を収録したガイドブックが発売されました。
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