「牧志村」を歩く-古地図を頼りに那覇散策その1【沖縄一人旅2日目】

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2泊3日の沖縄一人旅2日目。歴史散策三昧の日。

丸一日自由に使えるこの日のために、前々から計画していた歴史散策のテーマは「戦前の海岸線を歩く~那覇編~」。

最初にイメージしていた流れは、那覇市牧志のホテルを出て前島の塩田跡を通り、若狭の夫婦岩を経由して波の上ビーチで海を眺める。その後辻の御嶽を見に行ってそのまま海岸線の痕跡を探しつつ西町を抜け、東町で昔の港に思いを馳せながら、ゆいレール旭橋駅直結の沖縄県立図書館へなだれ込む。といった感じ。

想定しているルートをキョリ測というサイトで調べてみると、だいたい6.5km。2時間くらいあれば歩けるらしい。なーんだ。余裕♪余裕♪

のはずだったのですが…。

いつものように、なかなか予定通りには進めないものです。

古地図で見つけた琉球王国時代の道

時刻は午前9時45分。いよいよ昔の海岸線を目指して出発!と言いたいところですが、ちょっとその前に気になっていた場所へ寄り道します。

実は旅行前、下調べをしているときに明治初年(1868年頃?)の古地図『那覇市街図』を眺めていました。

すると現在のゆいレール牧志駅あたりに「牧志村」という集落が描かれていたのです。そして村の端には「東のウガン」と書き込まれていました。

さらに「牧志村」に描かれている道と現在の地図を照らし合わせていると、もしかして古地図の道が現在も残っているのではないか。という気がしてきたのです。

琉球王国が沖縄県になったのは1879年。その前に琉球藩の時期もあるらしいけど、1868年頃ならまだ琉球王国時代のはず。

古地図の道が残っているとすれば、それは琉球王国時代の道が残っているということではないか。

これは見に行かねば。

牧志公園に残る「東のウガン」(牧志ウガン)

ということで最初に向かったのは古地図に「東のウガン」(あがりのうがん)と書き込まれていた拝所。

東のウガンは現在の牧志公園内に残っていて、「牧志ウガン」とも呼ばれているようです。

牧志公園内に残る「東のウガン」(牧志ウガン)
牧志公園内に残る「東のウガン」(牧志ウガン)

牧志ウガンは毎年5月にウガン前で奉納される沖縄角力(すもう)で有名な場所です。

牧志集落の東端にあるから「東のウガン」。「東」は沖縄の言葉で「あがり」と言います。太陽が上がってくる方角のこと。「ウガン」は漢字をあてると「御願」だと思います。おそらく御嶽(うたき)を指しているはず。

祠の中には「ヤガノ森コバノ御イベ」と刻まれた石が
「東のウガン」の祠

祠に祀られた石には「ヤガノ森コバノ御イベ」と刻まれていました。

「ヤガノ森」の意味はちょっと見当つかないんですが、コバノ御イベの「コバ」はクバの木(ビロウ)のことだと思います。その昔この辺はクバの木立だったのかなぁ。なんて想像していました。

クバの木は琉球の人々の生活に欠かせない木だったそうです。幹は木材になったし、葉はあらゆる生活道具に加工されていたと歴史本で読みました。

歴史本→『沖縄の古代部落マキョの研究』稲村賢敷 (1977年)【Amazon】

今でもたまにクバ笠をかぶった人を見かけますよね。それにエイサーでちょんだらーが持っているのはクバ扇です。

それからウィキペディアによると、クバって海岸に生える木なんですって。

ビロウ(クバの木)の詳細【ウィキペディア】

古地図の目印になったカー(井戸)

さぁそして牧志集落散策のメインイベント。

もし古地図の道が残っているとすれば、東のウガンを進んだ先にカー(井戸)があるはず。果たして見つかるのか。

牧志公園から西の方向へ緩やかな坂道を進み、突き当りを右に曲がると、ストリートビューでは覗けなかった小さな林を発見。

この林の中にカー(井戸)があるはず(那覇市牧志)
この林の中にカー(井戸)があるはず

私の予想が正しければ、この林の中にカーがあるはず。

どやっ?!

古地図と同じ場所に残っていた東ヌカー
古地図と同じ場所に残っていたカー

あったー!

嬉しい。やっぱり古地図の道は残っていました。

戦争で焼け野原になってしまった那覇の街に、琉球王国時代の道が残っていたなんて。なんだか嬉しい。

小声でひゃーひゃー言いながら一人で写真を撮りまくっていました。

「牧志村」の道を行く

その後も引き続き古地図を頼りに「牧志村」エリアを散策。

途中年季が入ってそうな石垣を見つけたり、

年季入ってそうな石垣(那覇市牧志)
年季入ってそうな石垣

路地裏で新たにカーを見つけたり。

「牧志村」で見つけたカー(那覇市牧志)
名前のわからないカー

一カ所だけ地図通りに進めない場所はあったけど、ほぼ古地図と同じ道を通って「西のウガン」と書き込まれていた場所に到着。

西のウガン(那覇市牧志)
「西のウガン」と書き込まれていた場所

牧志北公園に残る「西のウガン」

古地図に「西のウガン」(いりのうがん)と書き込まれていた拝所は、現在の牧志北公園に残っていました。

牧志北公園内に残る「西のウガン」
牧志北公園内に残る「西のウガン」

祠の前には「牧志西御嶽」と「土帝君」と書かれた香炉が置かれています。

「牧志西御嶽」はおそらく牧志集落西端の御嶽のことでしょう。「土帝君(トーティークン)」は土地の神さまだったかな。

ところで、牧志集落を散策しながら、以前見た沖縄のニュース番組を思い出していました。それは琉球朝日放送の「Qプラス」という番組の「まも散歩」。

ちょうど東のウガンやその近くのカー、西のウガンを、専門家の案内で歩いていたことがあったのです。

ネット配信されていたその動画を以前見たことがあったのに、下調べの段階ではすっかり忘れていました。

動画はもう見られないですが、放送内容の記事は残っていましたよ。牧志の御嶽やカーについて詳しく解説されています。

まも散歩 牧志の裏道【QAB NEWS Headline】

まも散歩 牧志裏通り歩き Part2【QAB NEWS Headline】

「牧志村」から長虹堤に続く道

西のウガンを後にして、次は長虹堤(ちょうこうてい)に向けて歩きます。

現在の久茂地川は大昔海峡で、那覇は浮島でした。長虹堤とは、浮き島だった那覇と首里に続く道を陸路で結ぶために1451年に造られた堤だそうです。

長虹堤だった道の一部は現在も残っていて、以前ブラタモリでも紹介されていました。

関連記事→ブラタモリ沖縄ロケ地マップ-那覇編

長虹堤跡(那覇市牧志)
長虹堤だった道

上の写真が長虹堤だった道。この道の先に写っている森みたいなのは、大昔は小さな浮島だったところ。ピンボケですみません。

そして、古地図を頼りに「牧志村」から長虹堤まで降りてきた道を振り返ったところ。

「牧志村」から長虹堤へ降りてきた道
「牧志村」から長虹堤へ降りてきた道

おおぉ。つながったよ。古地図通り長虹堤に来れたよ。

そのまま久茂地川の方向へ突き進むと、安里橋跡の案内板がありました。

安里橋跡の案内板(那覇市牧志)
安里橋跡の案内板

案内板には、

安里川に架けられた橋跡。崇元寺(そうげんじ)が近くにあるため、崇元寺橋ともいう。当初の架橋年は不明だが、安里の対岸に浮かぶ「浮島」だった那覇と安里(崇元寺前)を結ぶ「長虹堤」の起点となっていることから、1451年の長虹堤築造同時と考えられる。

とありました。

安里橋跡(アサトバシアト)の詳細【那覇市歴史博物館】

”安里川に架けられた橋跡。”という説明に、あれ?久茂地川じゃないの?と思ったのですが、ちょうどこの辺は久茂地川と安里川が合流する場所なんですね。

車が多いので冷や冷やしながら安全に配慮しつつ、安里橋跡から長虹堤を眺めると、

安里橋跡から長虹堤を眺める
安里橋跡から長虹堤を眺める

おおぉ。何の変哲もない道。嘘みたいだろ、1451年の道なんだぜ。

…。

現在安里橋(崇元寺橋)は、ここから50mほど東寄りにあります。

散策ポイントまとめ(Googleマイマップ)

ところで先ほどから、西に進んで曲がって突き進んでどうたらこうたらと、文字だけの説明でわかりにくかったと思います。

ですのでこの記事で書いた牧志の散策ポイントをGoogleマイマップにまとめました。

長々と書いたのにポイントはちょっとしかないですね。

本当はここに古地図の画像も載せられたらよかったのですが、著作権やら何やらがわからなかったのでやめました。

今回頼りにした古地図は『沖縄歴史地図 歴史編』の66ページに載っています。私は大阪の図書館でコピーしました。

『沖縄歴史地図 歴史編』(宮城栄昌,高宮広衛)【Amazon】

さて、ホテルを出発してからここまでで45分経過。おかしい。予定では全コース2時間程度でゴールできるはずなのに、まだ牧志から出ていません。

この先どうなるのやら。

その2へ続く→前島の塩田跡を探して-古地図を頼りに那覇散策その2【沖縄一人旅2日目】

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