首里城にある3つのアザナ(物見台)。東(あがり)、京の内、西(いり)のアザナから、いったい何が見えているのか調べてみようと思いました。
ところが、ただ写真を見ながら場所探しをすればいいと思っていたら、自分は首里城の何もかも知らないことに気がつきまして…。
そんな時に思わずポチった歴史本『首里城物語』(真栄平房敬)がとてもおもしろかったので、ちょいちょいかいつまんでアザナのうんちくをまとめました。
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知れば知るほど魅力的。アザナを調べると、首里城の壮大さが見えてきました。
東のアザナからは読谷村まで見えている
まずは東のアザナから。
東のアザナは、首里城の一番高いところで「高アザナ」ともいうそうです。(参考:『角川日本地名大辞典47沖縄県』p.405、真栄平房敬『首里城物語』おきなわ文庫(Kindle版)位置No.132-133)
階段を上ってすぐの広場から見えるのは、久高島、瑞泉酒造、雨乞御嶽のある崎山公園。と、同じ話を以前の記事でも書きました。
以前の記事→(2022年5月)復元工事中の首里城見学-見どころ満載で2時間以上遊んでしまった
ただその時、“ガメラレーダー!ガメラレーダー!”と自衛隊のレーダーの写真を張り切って紹介してしまったのですが、今落ち着いて考えるとその場所は、琉球の三山時代(戦国時代みたいな頃)に「与座グスク」があったという与座岳でもありました。
関連記事→(2017年4月)「世の始まり」と伝わる集落-糸満市与座集落へ行ってきた
ガメラとかレーダーとか…普段興味ないくせになんであんなに張り切ったんでしょう。
さて、気を取り直して。
東のアザナ、北側の広場へ。
広場から北の方向にも海が見えて、その先に半島のような陸地が見えました。いったいどこが見えているんだろうと調べたら、なんと読谷村。
上の画像では分かりづらいですが、うっすら白く写っていた建物を拡大すると、ホテル日航アリビラでした。おったまげ~
そして正殿の方向に振り返ると、木材倉庫越しに見える慶良間諸島。
そうそう、先ほどポチったばかりの『首里城物語』によると、高アザナ(東のアザナ)からは首里城の御内原など中枢部が一望できるので、立ち入りが厳しく規制されていたそうです。へーへーへー。(参考:真栄平房敬『首里城物語』おきなわ文庫(Kindle版)位置No.154-158)
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京の内アザナからは豊見城グスクも見える?
続いて京の内アザナ。
京の内のアザナは「中のアザナ」とも呼ばれていたみたいですね。(参考:『角川日本地名大辞典47沖縄県』p.404)
東側には瑞泉酒造と雨乞御嶽が、東のアザナからとはまた違った角度で見えます。
そして面白かったのが西というのか南西方面。
手前には、繁多川へ続く織名平(しちなんだびら)。
関連記事→(2017年4月)首里城から壺川駅まで真珠道を歩いてみた(写真多め)
その奥の街中に見える森みたいのがどこだろうと調べてみたら、那覇市識名の大石公園と、その先にたぶん、たぶんですけど豊見城グスク跡(現在の空手会館付近)が見えていました。
『首里城物語』には識名園も見えていたと書いていますが、上の写真に写っているかどうかまだ確認できていません。(参考:真栄平房敬『首里城物語』おきなわ文庫(Kindle版)位置No.100-101)
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『角川日本地名大辞典』には、京の内が首里城の中で一番最初に築かれた区画ではないか説があると。察度王が高楼を建てたのもこの辺ではないか説も…ってマニアックすぎますね。失礼しました。(参考:『角川日本地名大辞典47沖縄県』p.404)
西のアザナからは末吉宮と…
最後は西のアザナ。
西のアザナは「島添アザナ」ともいうそうです。西のアザナ近くの地域が島添と呼ばれていたことに由来するのかもと。(参考:真栄平房敬『首里城物語』おきなわ文庫(Kindle版)位置No.160-161)
軽くググったところ真珠道の入口あたりは「島添坂」と呼ばれていたっぽいです…。雑ですみません。
雑といえば、西のアザナから見える場所を、実はまだ確認しきれていないのです。
西のアザナからは末吉宮が見える。
というのは今まで何度も書いてきたので、何か新しいネタをと思ったのですが…。
上の写真のこの辺りが崇元寺でこっちが長虹堤。みたいなのを突き止めようとして膨大な時間を費やしているところです。目が…目が~!!
もう少し探してみて、わかれば追記しますね。
関連記事→(2019年10月)「牧志村」を歩く-古地図を頼りに那覇散策その1【沖縄一人旅2日目】
3つのアザナから見えた場所まとめ(Googleマイマップ)
東と西のアザナでは時報の鐘を鳴らしていた
ところで、最初に紹介した東のアザナと西のアザナには、時を知らせるための鐘と旗が設置されていたそうです。(参考:真栄平房敬『首里城物語』おきなわ文庫(Kindle版)位置No.170)
漏刻門(ろうこくもん)や日影台(にちえいだい)で時間を確認して、決まった時間に送られる合図をきっかけに一斉に鐘が鳴っていたんだとか。(参考:『角川日本地名大辞典47沖縄県』p.405)
→東(あがり)のアザナ 時報解説・体験会【首里城公式サイト】
なんか壮大だなぁ。定刻に首里城から響き渡る鐘の音といい、首里城から見渡せるスケールといい、首里城の存在感たるや。琉球を統一した者のグスクだわーと感じました。
最初は、アザナから見えた場所をチョチョッと調べて3分で記事書いたろうくらいのノリだったのに、いざ調べ始めたらどんどん首里城の魅力に引き込まれてしまいました。3分で記事書いたためしないけど。
このまま首里城にハマってしまったら抜け出せなくなりそうな気がして、今は無理やり心を引き剥がしているところです。
首里城恐るべし。
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