前回の沖縄滞在中に糸満市の与座集落に行ってきました。
最近読んでいるの歴史本に、“「与座は世(ゆー)の始まりだよ。」と聞かされていた。”と書いてあるのを読んでどんな場所なのか行ってみたいと思ってたんです。
英雄・尚巴志の曽祖父が与座にいた?!
最初に目指したのはシーサー毛(もう)。「毛」とは草原とか原っぱのこと。
歴史本によるとここには大昔、琉球の英雄・尚巴志(しょうはし)のひいおじいちゃんになる人物、屋蔵大主(やぐらうふしゅ)の屋敷があったと。へー。そうなんだ~。
せっかくなんでシーサーの写真を。と思ったら、シーサーちゃんあっち向いてる…。
し、シーサーちゃん!?
那覇まで潤した水源「与座ガー」
与座集落で有名な「与座ガー」。ガーとは泉とか水源のこと。水量が豊富で、数十年前まで那覇空港の用水にも利用されていたとか。
与座ガーは今もまだ生きていて、農業用のタンクを積んだトラックが次々やってきてはジャバジャバと水を汲んでいました。
与座ガーをのぞいていたら、地元の方と思われる女性が話しかけてくれました。
最初はあいさつ程度だったんですけど、そのうちとても素敵なお話しを聞かせてくれて…。その話の内容も書きたいんだけど、それはまた別の機会に。
(話の内容を書きました→『与座集落で出会った人たちがきっかけで気づいたこと』)
与座にも金満御嶽(かにまんうたき)があった
金満御嶽(かにまんうたき)という場所は沖縄中にたくさんあって、全部がそうかはわからないけど、おそらく鍛冶場だったんじゃないかなと思います。
与座の金満御嶽にもたくさんの拝所がありました。
按司(権力者)が交易で仕入れた鉄を農具や武器に加工する場所。農具が充実すれば農作も豊かになって人々も豊かになる。按司の甲斐性の見せどころ、文明の源といったところでしょうか。
広い馬場跡もあり
馬場跡も沖縄のいろんな所に残っていますよね。馬を走らせて訓練する場所だと思います。戦に備えていたということでしょうか。
※追記:沖縄ではウマハラセーという競馬の行事があったようですね。
いつも疑問に思うのは、沖縄の馬場跡にはたいてい松の木が生えてるんですよね。何か意味があるのかしら…。
祖先の祈りに人々がやって来る与座
与座集落には「御嶽(うたき)」とか、「御神屋(うかみやー)」とか、「○○之殿(○○のとぅん)」と呼ばれる拝所がたくさんあります。
素人なりの解釈ですが、「御神屋」は一族の先祖代々の位牌が祀られている場所。「○○之殿」は○○という屋号一族の初代の屋敷跡なんじゃないかなと思っています。
特に与座には「○○之殿」の数が多いように感じました。「○○之殿」は庭みたいな敷地の中に小屋が建っていて、その中に御香炉が置いてあるといった感じです。
公民館で聞いた話では、与座には折々の行事ごとに、沖縄中から人々が祈りに来るそうです。海外へ移民されたウチナンチュのお孫さんも与座で祈るように言われてやってくると聞きました。
歴史本に書いてあった「世(ゆー)」というのが具体的に何を指しているのかまではわかりませんが、もしかしたら与座は、沖縄に今も続く一族の祖先となる人たちが目を付けた、人が住みやすい豊かな土地だったのかもしれないですね。
(※歴史本=伊敷賢『琉球王国の真実―琉球三山戦国時代の謎を解く』)
この旅行のダイジェスト&体験記事一覧→2週間の沖縄滞在から帰ってきました
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