首里城から壺川駅まで真珠道を歩いてみた(写真多め)

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4月16日発売のモモト

4月16日発売のモモト

2017年4月16日発売のモモトに掲載されていた賀数仁然さんの『真珠道をゆく』という記事。沖縄滞在中に、モモトの記事を参考にしながら真珠道を歩いてみました。

予定としては、首里の駐車場に車を置いて、真珠道を歩いて、ゆいレール沿線に近づいたら最寄駅からゆいレールに乗って首里駅まで戻ってくるというプランです。

モモトの内容がネタバレするといけないので、歩いてみて個人的に印象に残った場所や感想を写真多めで載せてみようと思います。真珠道について詳しいことはモモトを読んでくださいね~。

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首里城を出発

10:25私たちは首里城の守礼門前から散策を開始しました。

首里城守礼門前から出発

首里城守礼門前から出発

守礼門をくぐって南へ道を抜けると石畳道の入り口です。道の端に真珠道の石碑が建っています。散策した日がゴミの回収日だったらしく、だいぶ生活感があります(笑)

真珠道の石碑があるシマシービラ(島添坂)

真珠道の石碑があるシマシービラ(島添坂)

ここからはしばらく苔生す石畳道が続きます。わりと急な坂道ですが、木々に覆われた道はひんやりとして心地よい雰囲気です。この石畳道は、日本の道100選にも選ばれているそうです。

日本の道100選に選ばれている

日本の道100選に選ばれている

しばらく進むと金城の石畳道の写真でよく見る景色に出会います。

金城の石畳道

金城の石畳道

この道はホント久しぶりに来た。久しぶりに歩いてみてもこの道好きだなぁ。

この石敢當(いしがんとう)の手前を左に入ると金城町の大アカギ。そして石敢當の先に進むと、NHKの朝ドラ『ちゅらさん』のロケ地になった那覇の古波蔵家の外観。

『ちゅらさん』那覇の古波蔵家

『ちゅらさん』那覇の古波蔵家

石畳道を左に入って金城町の大アカギの広場へ。ここにはたくさんの御嶽や拝所があります。ここの神秘的な雰囲気とか大アカギの迫力は写真には収まらないや(´・ω・`)

そういえばここにいるとき、遠くからアカショウビンの鳴き声が聞こえましたよ。

金城町の大アカギ

金城町の大アカギ

真珠道の序盤も序盤ですが、金城村屋でちょっと休憩。

金城村屋でちょっと休憩

金城村屋でちょっと休憩

村屋辺りから見下ろす石畳の風景もステキですよね。この道を地元の子ども達がキャッキャ言いながら歩いてたりするのを見ると、あぁいい景色だなぁとしみじみ思います。

金城村屋から見下ろす石畳

金城村屋から見下ろす石畳

金城橋の向こうへ

さて、金城の石畳道を下りきった後はいよいよ金城橋の向こう側へ渡ります。

ここから先へ徒歩で進むのは初めてなのでちょっと緊張シマス。迷子になったらどうしよう。ってかギブアップできないぞ…。しかも時刻は11:24首里城からここに来るまでに1時間も遊んでしまった…

金城橋を越えて

金城橋を越えて

金城橋の先にあったのは識名平(しちなんだびら)という超キツイ角度の上り坂でした。今回の散策で一番厳しい道だったかも。

急な角度の識名平(しちなんだびら)

急な角度の識名平(しちなんだびら)

識名平を登り切ると繁多川の住宅街へ入ります。

そこで最初に見つけたのがハンタガー。「ガー」というのは昔の水場(井泉)だそうです。「ハンタ」というのが「端」という意味。端にあるガーだからハンタガー。そこから繁多川という地名になったと案内板に書いてました。へー。へー。へー。

ハンタって「崖」という意味でも聞きますよね。国頭村に茅打ちバンタっていう絶景が見える有名な崖があります。

ハンタガー

ハンタガー

繁多川の住宅街の中には、戦前から残る石垣とか歴史ある場所がたくさんあります。次回は繁多川だけをじっくり歴史散策してもおもしろそう。

そして琉球八社のうちのひとつ、識名宮です。国王が参拝していたそうです。

識名宮の参道から

識名宮の参道から

識名宮の参道のほぼ延長線上にある火の神(ヒヌカン)入口。

火の神(ヒヌカン)入口

火の神(ヒヌカン)入口

この細い道を入っていくと、地域の火の神・水の神・土地の神への拝所があります。

たぶんだけど、この地域の御嶽とか聖地なんだと思います。大昔、こういう場所を中心に集落が作られていった集落発祥の地なんじゃないかなぁ。

集落の聖地?

集落の聖地?

この聖地の近くには、琉球王朝時代の首里士族、しかも歴史に名を残しているような人物のお墓がたくさんありました。

歴史の人物についてはモモトに解説が載っているので省きますが、そこから先に進むと識名霊園につながっていて、なるほど識名霊園は由緒ある墓地なんだと納得。清明(シーミー)の時期に大混雑するエリアだそうですね。

識名の町を抜けて

識名霊園沿いの道を軽く山越えすると、識名の町に入ります。

この地域、ブラタモリ的に超おもしろい町なんじゃないかと思いながら歩いてました。ひょっとして昔川が流れてた?とかテキトーにあてずっぽうを言いながら(笑)

でも自分の歩いている道の下にトンネルが通っていたり、

この道の下には識名トンネルが

この道の下には識名トンネルが

アウトを攻めたらどこを歩いていいのかわからない急カーブがあったりして、

歩くの難しい急カーブ

歩くの難しい急カーブ

なかなかエキサイティングな道のりでした。たぶん新興住宅地とか開発区域とかにはない、昔ながらの道が残っているから味があっておもしろいんでしょうね。

真玉橋から壷川駅へ

楽しいなぁ。沖縄の道は歩いているだけで楽しい。なんて言いながら歩いてたらいよいよ真玉橋が見えてきましたよ。

復元された真玉橋

復元された真玉橋

現在の真玉橋

現在の真玉橋

さぁ時刻はすでに15:00。この頃になるといろんなことが雑になってきます。

モモトの地図ではこの先豊見城や小禄を抜けていくそうですが、時間も体力もそろそろ限界に近づいてきたので、ゆいレールの駅を目指します。

漫湖公園を通って壷川駅へ。この道のりが一番遠く感じました。

壷川駅へ到着

壷川駅へ到着

そして壷川駅からゆいレールに乗って首里まで。でも首里駅から駐車場までまた歩かないといけなくて…。とか言いつつも、遊びながら駐車場まで歩いたら、時刻は17:00になっていました。

これ、もし那覇のホテルに泊まってたら、このまま冷え冷えの生ビール飲めるよなぁ~うまいんだろうなぁ~(/_;)

歩いて知った首里の魅力

第二尚氏王統の尚真王の時代に琉球各地の按司が首里に集められちゃって、歴史本を読んでいてもグスク探しみたいな楽しさを感じなかったんですよね。なので尚真王以降の歴史は全然調べぬままになってたんです。

でも今回、真珠道を一部だけど通して歩いてみたら、首里とかその界隈っていろんな歴史ドラマが残っていて、第二尚氏時代もおもしろそうって思えました。帰ったら勉強しようって思いながら歩いてました。

それから、モモトの真珠道の記事は夫が見付けてきたから、私はあんまり内容を読まずに案内されるままに歩いてたんだけど、後でじっくり読んでみたら、この記事を読み込んでから歩いてみてもまた違った景色が見られるんだろうなって思います。

そういえば、モモトに載ってる地図は、それだけだとまったく土地勘のない私たちには難しかったかな。いつも愛用している道路地図と見比べながら歩いてちょうどいい感じでした。

ちょこちょこ寄り道しながら歩いたこの日の道のりをキョリ測で調べてみたら、6.7kmでした。楽しかったな。

でも今度、那覇のホテルに泊まってゴールでビール作戦、ホンマにやってみよう。

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