『ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 沖縄スペシャル』ロケ地おさらい

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、早速ですが2020年1月1日にNHKで放送された『ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 新春!沖縄スペシャル』のロケ地をおさらいします。

番組では浦添ようどれ斎場御嶽、それから久高島を訪れていました。

ブラタモリと家族に乾杯のコラボだったからか、勉強するには少し難しかったですが、沖縄の景色やふれあいを見ることができたから良かったかな。

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オープニングは那覇空港駅

番組のオープニングはゆいレール「那覇空港駅」でした。

ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯のロケ地「那覇空港駅」

番組のオープニングは「那覇空港駅」

ゆいレールは那覇市内の「那覇空港駅」から浦添市内の「てだこ浦西駅」を結ぶモノレールです。

ゆいレールの路線図【ゆいレール公式】

車内で合流したタモリさんと鶴瓶さんはしばらく鉄道談義に花を…というよりタモリさんが一人楽しそうでしたね。

ゆいレールのスタイル(?)は跨座式(こざしき)というそうです。レールの三方をゴムタイヤで跨いで進むので急な坂でも上がって行けるんですって。

このレールはタイヤで挟まれていたんですね。

ゆいレールは「跨座式」

ゆいレールは「跨座式」

ちなみに”すごい勾配”を登って行くゆいレールの映像は、おそらく首里末吉町の高台から撮ったものだと思います。

そしてこの後、車窓から火災後の首里城が見えました。

あの距離で首里城が見える場所は儀保駅を通過後の首里駅の手前です。

儀保駅から見えていた火災前の首里城

儀保駅から見えていた火災前の首里城

関連記事→ゆいレール途中下車の旅-1日乗車券を使って【その2・首里の街】

そして首里城駅を通過後、59パーミルの勾配を下って「てだこ浦西駅」へと向かいます。

ブラタモリのスタートは「てだこ浦西駅」

ゆいレールの終点「てだこ浦西駅」で林田理沙アナウンサーと合流した後、今回のブラタモリ旅のお題を発表。

今回のお題は、「沖縄の神髄は”日の出”にあり!?」でした。

なるほど。新春スペシャルだから日の出なのね。

関連記事→沖縄のおすすめ日の出スポットまとめ

浦添城跡で案内役と合流

「てだこ浦西駅」を出て向かったのは浦添城跡

なのですが、私が思うに浦添城跡に行くなら「浦添前田駅」で降りた方が近いんじゃないかなぁ。

まぁ、ゆいレールの終点まで乗ったってことですね。

浦添城跡の駐車場で合流したのは、今回の案内役で琉球歴史研究家の上里隆史さん。

上里さん、浦添市立図書館の館長をされてたんですね。有名な方ですし本も少し読んだことがありますが、動く上里さんは初めて見ました。…動く上里さんって表現どうよ。

王様のお墓「浦添ようどれ」へ

上里さんの案内で駐車場から東の方角へ。まず目指したのは浦添ようどれです。

浦添ようどれは、琉球王国が成立するよりもずっと昔に英祖王(えいそおう)と伝わる人物のために造られたお墓。王陵です。

英祖王には、母親が自分のお腹に太陽が飛び込んでくる夢を見て英祖を身ごもった。という伝説があります。だから太陽の子、てぃーだの子、「てだこ」と呼ばれるようになった。というわけですね。

戦前は岩盤が乗っていた「暗しん御門(くらしんうじょう)」

戦前は大きな岩盤が乗っていたというお墓へ続くトンネルは、暗しん御門(くらしんうじょう)と呼ばれています。

岩盤が乗っていた暗しん御門(くらしんうじょう/浦添市仲間)

岩盤が乗っていた「暗しん御門(くらしんうじょう)」

ちなみに何かで読んだ記憶では、浦添ようどれの「ようどれ」とは「夕凪」のことで、あの世を連想させる言葉だった…はず。

冬至の朝日が通る門

今回の旅のテーマ「日の出」と関わりのある場所は、浦添ようどれにある門でした。

冬至の朝日が通る門(浦添ようどれ/浦添市仲間)

冬至の朝日が通る門

冬至の日の朝、東から上った太陽がちょうどこの門の真ん中を通るように設計されているんだそうです。

手持ちの資料によると、この門は「なーか御門」。そして門の手前の広場が「二番庭(にばんなー)」。門の向こう、お墓がある場所が「一番庭(いちばんなー)」で聖域とされている場所だそうです。

手持ちの資料↓

浦添ようどれと「てぃだが穴」の話

番組ではここで太陽のありがたさの話になって、大昔の琉球では西に沈んだ太陽が「てぃだが穴」を通って東から昇ってくると考えられていた。と解説されていました。

だけど私にはこの話の流れが難しくて付いて行けてなかったです。どうして急に「てぃだが穴」の話が出てきたのかがつながらなかった。

それで少し調べてみたんですよ。超素人ですが自分なりに調べて解釈したことを書いてみます。

大昔の琉球では太陽(てぃーだ)は神のような存在で、島を治める首長は太陽のような存在だということで太陽の子と表現されていたと。

そして浦添ようどれは、暗しん御門のトンネルを抜けた先に一番庭(お墓がある場所)が造られていることから、西の水平線に沈んだ太陽が地下のトンネルを通って東の空に昇るという考えの「てぃだが穴」を模しているのではないかと。

それを前提に考えると、「冬至の日に昇る太陽」=「一年の中で一番新しい太陽」が一番庭のアーチ門の真ん中に出るよう設計されたのは、再生を表したかったのではないだろうか。

要するに、琉球にとって太陽と日の出はとても重要視されていたんだよ。

要するに?要してないか…。でもそんな感じの話だったのかなぁと。

久高島が見える場所

「てぃだが穴」を説明した後、日の出の方向を見に高台へ移動しました。場所は浦添城跡の芝生の広場です。

そこから東の水平線に見えたのが平べったい島・久高島でした。

そして大昔は久高島が「てぃだが穴」なんじゃないか、とか、久高島の向こうにニライカナイがあるんじゃないかと思う人がいた。という話の流れでしたね。

東にあるありがたい場所-斎場御嶽

ここからはタモリさんと鶴瓶さんは解散してそれぞれの旅を続けます。

まずブラタモリチームが向かったのは、久高島の手前にあるという東のありがたい場所「斎場御嶽(せーふぁうたき)」。

っていうか”ありがたい”とか”ありがたさ”とかいう言い方をするから話がややこしくなるんだと今思いました。でも最近いろいろあるので極力「聖地」と言わないようにしたのかもしれないですね。

聖域に入らないで 〝神の島〟ルール違反の観光客に苦悩【琉球新報】掲載終了

さて話を戻します。

沖縄に数多く残る御嶽の中でも、「斎場御嶽」は格式の高い御嶽と説明されていました。

斎場御嶽の入り口(南城市知念久手堅)

斎場御嶽の入り口

「斎場御嶽」は琉球王国時代に最高神女である聞得大君(きこえおおぎみ)の就任式も行われたという、王府にとって重要な御嶽でした。そういう意味でも”格式の高い”というのはナイスな表現と思いました。最高聖地という説明だけだと解釈が広すぎますもんね。使わせてもらお♪

そして斎場御嶽の入り口「御門口(うじょうぐち)」には香炉が置かれていました。それは昔、斎場御嶽に入れない人たちが遥拝するための香炉。

御嶽で行われる祭祀は女性が司っていたので、御嶽は男子禁制だったそうです。だから入れない人たちとは男性のことですね。

御門口から進んで最初に着いた拝所は「大庫理(うふぐーい)」。

大庫理は、先ほど書いた聞得大君の就任式が行われた場所。

大庫理(うふぐーい/斎場御嶽内)

大庫理(うふぐーい)

ここでもう1人の案内人と合流します。琉球大学教育学部准教授で地球科学を研究している尾方隆幸さん。

尾方さんの説明では、この一帯は50万年ほど前の琉球石灰岩でできているということでした。

その話を聞きながら到着したのは「寄満(ゆいんち)」という拝所。「寄満」には「台所」という意味があります。

寄満(ゆいんち/斎場御嶽内)

寄満(ゆいんち)

寄満を覆うように突き出している岩盤に鍾乳石が残っていることから、斎場御嶽はもともと鍾乳洞だったことがわかるというお話しでした。

そしてさらに沖縄と日の出の関係がわかる場所として紹介された三角の空間「三庫理(さんぐーい)」。

三庫理(さんぐーい/斎場御嶽内)

三庫理(さんぐーい)

三庫理はこの大きな石灰岩の下にある泥岩が地滑りしたことで三角の空間ができたんだそうです。トンネルのようになったその場所に昔の人は神秘を感じたのではないか。という説明でした。

しかもトンネルを抜けた先からは久高島が見えるというありがたい場所。

三庫理のトンネルの先、久高島が見える場所

三庫理のトンネルの先、久高島が見える場所

でもここもかつては塞がっていたんですって。

大昔の人々はここで久高島とは反対の方向に祈りを奉げていたそうです。それは反対側にある壁にニライカナイからきた霊力がストックされていると考えられていたから。というお話しでした。

チョウノナハの拝所(斎場御嶽内)

チョウノナハの拝所

うーん。これも難しかったなぁ。

だけど大昔に斎場御嶽は洞窟だったと聞いたとき、太古の沖縄では人々は洞窟に住んでいたという話があるのを思い出しました。斎場御嶽がそうだったのかまでは調べていませんが、一族や生活の発祥地として祈りを奉げる場所だったのかもしれないな。なんて想像しています。

斎場御嶽の詳細【南城市観光協会】

鶴瓶の家族に乾杯は久高島へ

さて、浦添城跡で解散した後、鶴瓶さんも東の方向へ。

南城市の安座真港でタモリさんがチャーターした船に乗り、一足先に久高島へ向かいました。

ちなみにこの時利用していた海上タクシーは「ジュピター観光」だと思います。

海上タクシー久高島【ジュピター観光】

久高島へは安座真港から定期船も出ていますよ。

定期船の料金・時刻表【久高海運】

久高島に到着後、農業漁業のおじさんに出会った場所はパーラー「さばに」。

さばにの詳細【食べログ】

久高島の港から パーラー「さばに」も見える

久高島の港から パーラー「さばに」も見える

そこでしばらく歯医者の話などをして次へ向かう途中、子ども達に呼び止められたのは定期船の切符売り場でもある「久高船待合所」でした。

久高船待合所では自転車を借りたりお土産を買ったりできるし、ちょっとしたカフェもやっています。

鶴瓶さんも氷ぜんざい570円を食べていましたね。

久高船待合所の詳細【沖縄観光コンベンションビューロー】

レンタサイクルの詳細【久高島振興会】

それから、売店で教えてもらった塩は『ふがにまぁす』という商品でした。

久高島の塩など物産一覧【なんじぃ商店(南城市観光協会)】

久高島で守ってほしいこと 7か条

ここで番組は一旦スタジオに戻り、久高島を訪れる際の注意事項の話になりました。

そこで映っていた『久高島で守ってほしいこと7か条』。全部読み上げるかと思ったらそうでもなかったですね。一応ここに書き出しておきます。

  1. まずは、「あいさつ」をしましょう
  2. 島におじゃまするという気持ちで、地域の決まりを理解しましょう
  3. 久高島には御嶽や拝所等、立ち入れない場所があります
  4. 久高島の自然物(石や砂、樹木等)の持ち出しはご遠慮ください
  5. 島は生活の場です 当たり前のマナーを守り、島の暮らしを感じてください
  6. 久高島のヤシガニを獲らないでください
  7. 来島者のみなさんもぜひ一緒に心地よい久高島づくりにご協力ください

島でのルール詳細【南城市久高島観光交流サイト】

久高殿にお参りして海ぶどうの養殖場へ

「久高船待合所」を後にした鶴瓶さんは、海ぶどうと塩を探しに集落へ。

道中、鶴瓶さんがお参りしたのは「久高殿」です。

鶴瓶さんがお参りした久高殿

鶴瓶さんがお参りした久高殿

そして鶴瓶さんは久高殿からおそらく西の海側に出たんだと思います。

たどり着いた海ぶどうの養殖場には「福YOU」という看板がかかっていました。

海ぶどう商品一覧【福YOU公式サイト】

ブラタモリチームは「百名ビーチ」へ

番組はここで再びブラタモリに戻ります。

ブラタモリチームが木のトンネルを抜けた先にたどり着いたのは「百名ビーチ」。

木のトンネルを抜けると百名ビーチ(南城市玉城百名)

木のトンネルを抜けると百名ビーチ

このトンネルがある場所はおそらく受水走水近くの有料駐車場…なんじゃないかなぁ。

ちなみにこの有料駐車場にある花壇みたいな一画は、現在も伝統行事が行われている拝所なので気をつけてください。

関連記事→親田御願-受水走水で行われた沖縄の伝統行事を見に行きました

与那国馬に乗って移動

百名ビーチに出たタモリさん達は、なぜか馬に乗って移動します。

ここで登場したのは与那国馬のカンタくんとプラナちゃん。与那国馬は沖縄に昔から住んでいた馬なんですって。

与那国馬の乗馬体験ができるのは「うみかぜホースファーム」という牧場です。

馬と遊ぼう【うみかぜホースファーム】

アマミキヨがやってきた海岸「ヤハラヅカサ」

馬に乗って到着した場所には海の中に建てられた石碑がありました。石碑には「ヤハラヅカサ」と刻まれています。

ヤハラヅカサの石碑(百名ビーチ/南城市玉城百名)

ヤハラヅカサの石碑

ヤハラヅカサとはこの一帯の名前。

ここは大昔、東の方からアマミキヨがやってきたという伝説が残る場所です。

アマミキヨは沖縄にあらゆる恵みをもたらした神さまとして伝わっています。その中でも稲作を始めたのがこの辺りだったと。

この辺りは泥岩と石灰岩の境目から出る水が豊富で稲作に適していたんですって。

なるほど~。

余談ですけど、稲作を伝えたアマミキヨが、もし島外からやってきて新しい文明を持ち込んだ外国人を指すとしたら、ヤハラヅカサの沖合に船をつないだのかなぁ。なんて想像していました。あの水平線の向こうから次第に近づいてくる船のシルエットを、当時の島人はどんな風に見ていたのかなぁ。とか。

再び鶴瓶の家族に乾杯-島の最年長と最年少

さて、番組はここで再び鶴瓶の家族に乾杯に戻ります。

久高島を訪れている鶴瓶さんは、島の最年長で先日カジマヤーのお祝いをしたおばあさんを訪ねて「内間商店」へ。

カジマヤーとは風車のことで、数え年97歳になると人間は子供に還るから風車を渡すんですって。

内間商店の詳細【沖縄観光コンベンションビューロー】

内間商店でしばらく話した後、鶴瓶さんは売店で見つけた『ふがにまぁす』を作る人を探して再び集落へ。

その途中で偶然すれ違ったご夫婦が抱っこしていた赤ちゃんは、なんと島の最年少。しかも内間商店のおばあさんのひ孫さん。よくよく話を聞いていると、最初に行った海ぶどうの養殖場「福YOU」の隣で海ぶどうを始めた人でもあり。

偶然がスルスルとつながって最後に塩を作っている人を訪ねたら、『てぃだぬます』を作っている内間商店のご主人が紹介されていました。

鶴瓶さんは最初『ふがにまぁす』を探していたんだけどなぁ。まぁいっか。

久高島の塩 ナサー屋の真塩(ます)【内間商店】

タモリさんも久高島へ

さてお次はブラタモリチーム。鶴瓶さんと入れ違いで今度はタモリさんが久高島へ。

ブラタモリの久高島ロケは郵便局前からのスタートでした。

久高島簡易郵便局

ブラタモリの久高島ロケは郵便局前から

この辺は海抜6mだと話していましたね。

イザイホーが行われていた久高殿

久高島には琉球王国時代の祭祀がつい最近まで残っていました。それはイザイホーという12年に一度行われる祭祀で、島に生まれた女性がみな神職者になる就任の儀式でした。

その祭祀が行われていたのが聖なる場所「久高殿」。

タモリさんも訪れた久高殿

タモリさんも訪れた久高殿

久高殿は御殿庭(うどぅんみゃー)とも呼ばれるそうです。

真ん中の建物が神殿と説明していた神アシャギで、その向こうは聖域。

イザイホーでは神アシャギのトンネルを抜けて聖域と行き来するというような話をしていたと思います。

神アシャギの隣は焙乾屋(バイカンヤー)。イラブーを燻製にする小屋です。イラブーは神さまからの贈り物と考えられていたんですって。

久高島の最東端カベール岬でブラタモリのまとめ

そして最後にタモリさん達は久高島の最東端カベール岬へ。

カベール岬に続く道(久高島/南城市知念久高)

カベール岬に続く道

ここで番組のまとめに入るのですが、このまとめに私はまた付いて行けませんでした。

ザックリと話の流れを書き出してみると、久高島はサンゴ礁が隆起した島で、沖縄島とはもともとつながっていたと。

次第に海面が上がって標高17.5mの久高島はギリギリ残っていた。それが浦添城跡や首里城から見て日の出の方向の絶妙な位置にたまたま残ったと。

もし海面がもう少し低かったりサンゴ礁がもう少し高かったら、最東端の位置が変わると。そんな話をしていたと思います。

それでこれを私なりに頭をひねって考えてみたんですけど、ブラタモリ的には、

久高島の位置も斎場御嶽の三庫理も、全ては偶然に起こったこと(できた場所)だけれど、それを神聖な場所としたのは日の出の方向だったから。それほど琉球では日の出が重要視されていたんですよ。

と言いたかったのかなぁ…。

久高島とか斎場御嶽とか、東の方向を大事にしていたのは王のルーツが東の地域にあったからじゃないのかなぁ。とかなんとか。素人が調子に乗って自由なことを書きました。ハハッ!

ま、そんなこんなでロケ地のおさらいはここまで。

安座真港の映像を見ていたらまた久高島に行きたくなりました。いつか久高島に泊まってみたいなぁ。

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