首里城の龍樋をきっかけに琉球偉人の人間ドラマを妄想した話

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首里城公園の入り口から正殿に向かう途中のめっちゃ急な階段、「瑞泉門」に続く階段の途中に、「龍樋(りゅうひ)」という泉があります。

龍樋がある瑞泉門への階段

龍樋がある瑞泉門への階段

龍樋で水を吐き出しているあの龍の口は、琉球王国の尚真王(しょうしんおう)の時代、1523年に設置されたものだそうです。

龍樋について調べていると、龍の口にまつわる意外なエピソードを知ることができました。そしてそこから琉球偉人たちの人間ドラマを妄想して、楽しかったというお話。なんじゃそりゃ…

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龍樋の龍の口は役人が衝動買いしたものだった

龍樋に設置された龍の口は、尚真王の代理として明(中国)へ行った沢岻親方盛里(たくしうぇーかた せいり)という人が衝動買いしたものだそうです。

龍樋に設置された龍の口

龍樋に設置された龍の口

沢岻親方は出張先の明で、龍の口と、皇帝が腰かける轎(カゴ/椅子的なやつ)を見て一目惚れ。轎は現地の職人に作らせて琉球へ持って帰り、龍の口と共に尚真王へプレゼントしたそうです。

プレゼントとはいえ公費を勝手に使ったわけですが、尚真王はとても喜んで沢岻親方に褒美を授けています。それほど沢岻親方が王のツボを心得ていたということでしょうか。(知らんけど)

このとき設置された龍の口は、先の大戦で多少傷ついたものの修復されて、現在も龍樋で水を吐き続けています。

(龍の口のことを、資料によっては「龍頭」と書いていて「りゅうとう」とも「りゅうず」とも振り仮名がありました。正式名称があるのかどうか、追々じっくり調べます。)

龍の口を買ってきたのは護佐丸の孫

少し気になったので、龍の口と轎を衝動買いした沢岻親方について調べてみました。

そしたらなんと、沢岻親方盛里はあの護佐丸(ごさまる)の孫でした。これはテンション上がる話。

と、一人でテンション上げていてもしょうがないので、少し護佐丸について説明します。

いろいろすごい人だった護佐丸

護佐丸は琉球が一つの国として統一される前から活躍している按司(あじ/武将的な豪族のような存在)でした。

琉球を統一した尚巴志(しょうはし)が、今帰仁城(なきじんぐすく/現在の本島北部にあるグスク)を攻めたときも、護佐丸は尚巴志軍に付いて参戦しています。

関連記事→今帰仁グスク(今帰仁城跡)の見どころを自分なりに案内してみる

護佐丸は武将としての能力も経験も豊富なうえに、築城のセンスも優れた人でした。

現在の読谷村にある座喜味城(ざきみぐすく)を築城したり、中城村の中城(なかぐすく)に移ってからは、三の郭の増築を手掛けたりしています。

護佐丸が築城した座喜味城(龍樋からつながった護佐丸のエピソード)

護佐丸が築城した座喜味城

それに護佐丸は琉球王国が成立した後も、独自で交易をバリバリこなしていたと思われます。

これは素人の想像ですが、護佐丸はアウトローでグレーゾーンの気配がプンプンするけど、いざというときには一番頼りになるダンディ。というイメージ。

護佐丸すご過ぎて討たれる

それだけ力があり人気もあった護佐丸は、琉球王国が成立してしばらくすると、王府にとって腫れ物みたいな存在になった…のかもしれません。

護佐丸は王府内のごたごたに巻き込まれ、謀反を疑われ討たれてしまいます。(護佐丸・阿麻和利の乱)

歴史書では護佐丸が「王府軍旗には反撃できない。」と忠誠を尽くして自害したことになっていますが、実際のところは不意打ちだったのではないかという説もあります。

満月の晩、中城で月見の宴をした後の出来事だそうです。

護佐丸が増築した中城三の郭(龍樋からつながった護佐丸のエピソード)

護佐丸が増築した中城三の郭

関連記事→沖縄の世界遺産-5つのグスク(城)

生き残った三男が大出世

ところで護佐丸が王府軍に襲撃されたとき、まだ赤ん坊だった三男・盛親は乳母に抱かれて逃げ延びていました。

琉球の戦国時代は、負けた一族が根絶やしにされる時代。なので戦から逃れてきた盛親は正体を隠して生活していたそうで、女の子の服を着せられていたという話もあります。

しかししばらくして王府でクーデターが起こり、新政権で王位についた尚円(しょうえん)王が、護佐丸の子ども(盛親)が生きていると聞いて王宮に呼び寄せました。

そして盛親は教育を受け、首里で働けるようになったそうです。

逃亡生活から解放された盛親は大出世。王の側近まで登り詰めて豊見城親方(とみぐすくうぇーかた)となります。

そして盛親の三男として生まれたのが沢岻親方盛里。衝動買いの人です。

龍樋ひとつで壮大に妄想…それが沖縄の魅力

「これはきっと王が喜ぶだろう。」と、龍の口と轎を衝動買いした沢岻親方のルーツをたどりながら、後先を考えずに(公金を使って)王を喜ばせようとした気持ちを、素人なりに妄想していました。

自分の祖父の無念。逃亡生活を強いられた父の幼少期。そして父を引き上げた新しい政権の王。もしかしたら盛里は、そのエピソードを聞かされて育ったのかもしれません。もしかしたら人一倍王に対する感謝の気持ちが強かったのかもしれない。

しかも盛里がお土産をプレゼントした尚真王は、クーデターにより政権交代した初代尚円王の息子です。

それぞれの一族に起こったエピソードが、まだまだ色褪せていなかった時期、お互いにいろんな想いがあったのかもしれないな。と、そんなことを想像をしました。

まぁ、あくまでも素人の妄想ですけどね。直接本人に聞いてみたら、へ?何が?と言われるくらい話を膨らませすぎている気が、しないでもないです。

でもこんなふうに、琉球の歴史を調べているとドラマよりドラマだなと思うエピソードがたくさんあります。

それに琉球の歴史はまだまだわかっていないことが多いので、勉強をしているとどんどん想像が膨らんでいくんです。それが私にとってはおもしろくておもしろくて…。

琉球の歴史は、沖縄が持っている大きな魅力の一つです。

コメント

  1. 仲田 昇 より:

    はじめまして。沖縄旅行記「龍樋」を拝見させて頂きました。当方63歳沖縄在住のオジサンです。この貴殿の「龍樋」を見つけたのは、(話は長くなりますが)息子が今秋 結婚するので三々九度用の泡盛「かねやま」をメルカリ探していたところ静岡県の方が出品していまして、購入致しました。その方が沖縄に良く訪問していて、辰年生まれなので沖宮など龍に関わる場所を訪ねていると自己紹介していましたので、首里城の龍樋を思い出し、ネットで検索したら貴殿の沖縄旅行記「龍樋」を見つけました。その方にも沖縄旅行記を紹介しました。更に息子のお嫁さんが神戸出身で何か奇縁を感じましてメールを致しました。息子の結婚を機に自分の出自や琉球の歴史等々興味が湧いてきまして、ネツトで色々調べています。貴殿の沖縄旅行記は現場を歩いて生の様子が読み取れて大変勉強になります。これからもフォローして拝見刺せて下さい。

    • クイナがこけた より:

      仲田さま

      はじめまして。
      コメントありがとうございます。

      そしてご子息のご結婚おめでとうございます。

      沖縄旅行記のつたない文章を読んでいただき、さらに紹介までしていただいて嬉しいです。

      沖縄旅行ついでに琉球の歴史探訪をするのは、私にとってはとても楽しいことですが、ブログに書いたところで一般受けしないんだろうなと思う時があります。

      でもこうやってコメントをいただくと、書いてみて良かったと、とても励みになります。ありがとうございます。

      まだ琉球の歴史初心者ですが、これからも少しずつ歴史の場所について書いていきたいと思っています。

      今後ともよろしくお願いいたします。

      『沖縄旅行記』管理人
      クイナがこけた

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