首里城公園の入り口から正殿に向かう途中にある、めっちゃ急な階段。瑞泉門に続く階段の途中に、龍樋(りゅうひ)という泉があります。

龍樋がある瑞泉門への階段
その龍樋で水を吐き出しているあの龍の口は龍頭(りゅうとう)といって、琉球王国の尚真王(しょうしんおう)の時代、1522年ごろに設置されたものだそうです。
今もその時代の龍頭が設置されていると聞いたことがあるのですが本当かしら…。
一応首里城の公式サイトには”約500年前のもの”と書かれているので、当時のものなんだと思います。
今回、龍樋に設置された龍頭について調べていると、なかなか興味深い歴史物語が浮かび上がってきました。
龍頭にまつわるエピソード
この龍頭は尚真王の代理で中国の皇帝に挨拶に行った人が、一目惚れして買ってきたお土産なんだそうです。

龍頭(りゅうとう)2018年2月撮影
その人は、龍頭ともう一つ、王様が腰かける篭(カゴ)を見つけて一目惚れ。プレゼントとはいえ公費を使って買ってきちゃったそうです。
本当は勝手に公費を使ってはいけない立場だったようですが、尚真王はそのお土産に大喜びしたそうで、おとがめなしだったんですって。
ちなみに龍頭から吐き出される清水は、戦前まで鉄砲水みたいに威勢よく流れていたそうです。その清水の話は、ブラタモリでも取り上げられていました。
関連記事→ブラタモリ沖縄ロケ地マップ-首里編
龍頭きっかけで歴史をたどる
龍頭について調べていると、琉球の歴史上の人物とのつながりが見えてきました。勉強メモついでにまとめてみますね。
龍頭からつながる護佐丸の話
龍頭を衝動買いしてきた人の名前は、沢岻親方盛里(たくしうぇーかた せいり)。
実はあの通称護佐丸(ごさまる)のお孫さんに当たる人物だそうです。
護佐丸というのは琉球のスーパーヒーローで、琉球が王国として統一される前の三山時代から活躍している武将でした。
琉球を統一した尚巴志(しょうはし)が、今帰仁城(なきじんぐすく)を攻めたときも、護佐丸は尚巴志軍に付いて参戦しています。
護佐丸は武将としての経験が豊富なのに加え、築城のセンスにも優れていました。
現在の読谷村にある座喜味城(ざきみぐすく)を築城したり、中城村の中城(なかぐすく)に移ってからは、三の郭の増築も手掛けています。

護佐丸が築城した座喜味城
それに護佐丸は琉球王国が成立した後も、独自で交易をバリバリこなしていたんじゃないかと思います。
まだ詳しく調べきれていないのですが、個人的にはアウトローでグレーゾーンの気配がプンプンするけど、いざというときには一番頼りになる存在。というイメージです。
才能がありすぎた護佐丸
それだけ力が強く人気もあった護佐丸は、琉球王国が成立してしばらくすると、国王にとって腫れ物みたいな存在になってしまったようです。
『あいつは強いし金持ってるし、謀反を起こされたら太刀打ちできない。』みたいな空気が王府の中で流れていたのかもしれません。
護佐丸は王府内のごたごたに巻き込まれ、謀反を疑われ討たれてしまいます。(護佐丸・阿麻和利の乱)
琉球王国の正史では、護佐丸が「王府軍旗には反撃できない。」と忠誠を尽くして自害したことになっていますが、実は不意打ちだったのではないかという説もあります。
満月の晩、中城で心地よく宴会をしていた日だったそうです。

護佐丸が増築した中城三の郭
逃亡生活から大出世
護佐丸が王府軍に襲撃されたとき、乳母に抱かれて逃げ延びたのが、龍頭を買ってきた沢岻親方盛里のお父ちゃんにあたる人物(盛親)です。
当時はまだ赤ん坊でしたが、少年になるころに王府でクーデターが起こり政権が交代します。
新しい政権で最初に王位についた尚円(しょうえん)王は、護佐丸の子ども(盛親)が生きているという話を聞いて王宮に呼び寄せました。
そして盛親は首里で働かせてもらえるようになったそうです。
琉球の戦国時代は、負けた一族は根絶やしにされる時代でした。なので戦から逃れてきた親族は正体がばれないようにひっそりと逃亡生活を送らないといけなかったそうです。
でも護佐丸を討った政権が交代したことで、盛親は晴れて逃亡生活から解放されたんですね。
そこから盛親は大出世。
王の側近まで登り詰めて豊見城親方(とみぐすくうぇーかた)となります。そして生まれた三男坊が沢岻親方盛里。衝動買いの人です。
想像が膨らむ琉球の歴史
「これはきっと王が喜ぶだろう。」と、篭と龍頭を衝動買いした沢岻親方盛里について、その背景をたどってみると、後先を考えずに王を喜ばせようとした気持ちが想像できる気がします。
自分の祖父の無念。逃亡生活を強いられた父の幼少期。そして父を引き上げた新しい政権の王。もしかしたら盛里は、そのエピソードを聞かされて育ったのかもしれません。
だから王に対する感謝の気持ちがとても強かったのかもしれない。
しかも盛里がお土産をプレゼントした尚真王は、新しい政権の初代尚円王の息子です。
それぞれの一族に起こったエピソードが、まだまだ色褪せていなかった時期、お互いにいろんな想いがあったのかもしれないな。と、そんなことを想像をしていました。
って、これはあくまでも私の想像です。直接本人に聞いてみたら、へ?何が?と言われるぐらい膨らませすぎている気が、しないでもないです。
でもこんなふうに、琉球の歴史を調べているとドラマよりドラマだなと思うエピソードがたくさんあるんです。
それに琉球の歴史は解明されていないことが多いのもあって、勉強をしているとどんどん想像が膨らんでいくんです。それが私にとってはおもしろくておもしろくて…。
琉球の歴史は沖縄が持っている大きな魅力の一つだと思います。
コメント
はじめまして。沖縄旅行記「龍樋」を拝見させて頂きました。当方63歳沖縄在住のオジサンです。この貴殿の「龍樋」を見つけたのは、(話は長くなりますが)息子が今秋 結婚するので三々九度用の泡盛「かねやま」をメルカリ探していたところ静岡県の方が出品していまして、購入致しました。その方が沖縄に良く訪問していて、辰年生まれなので沖宮など龍に関わる場所を訪ねていると自己紹介していましたので、首里城の龍樋を思い出し、ネットで検索したら貴殿の沖縄旅行記「龍樋」を見つけました。その方にも沖縄旅行記を紹介しました。更に息子のお嫁さんが神戸出身で何か奇縁を感じましてメールを致しました。息子の結婚を機に自分の出自や琉球の歴史等々興味が湧いてきまして、ネツトで色々調べています。貴殿の沖縄旅行記は現場を歩いて生の様子が読み取れて大変勉強になります。これからもフォローして拝見刺せて下さい。
仲田さま
はじめまして。
コメントありがとうございます。
そしてご子息のご結婚おめでとうございます。
沖縄旅行記のつたない文章を読んでいただき、さらに紹介までしていただいて嬉しいです。
沖縄旅行ついでに琉球の歴史探訪をするのは、私にとってはとても楽しいことですが、ブログに書いたところで一般受けしないんだろうなと思う時があります。
でもこうやってコメントをいただくと、書いてみて良かったと、とても励みになります。ありがとうございます。
まだ琉球の歴史初心者ですが、これからも少しずつ歴史の場所について書いていきたいと思っています。
今後ともよろしくお願いいたします。
『沖縄旅行記』管理人
クイナがこけた