2018年2月19日に沖縄の伝統行事、親田御願(うぇーだうがん)を見に行きました。
親田御願(うぇーだうがん)は、南城市玉城百名の受水走水(うきんじゅはいんじゅ)という場所で行われている豊作祈願の行事です。
地元の人に教わったこの行事が知らせる季節感と自分が持っている季節感とのギャップに、また少しクラクラっとしたのでした。
(2018年2月の沖縄滞在ダイジェスト&体験記事一覧はこちら→2018年2月沖縄長期滞在15日間ダイジェスト&2月の沖縄レポ)
受水走水は沖縄の稲作発祥の地と伝わる場所
伝統行事が行われる受水走水という場所は、沖縄の稲作発祥の地と伝わる場所です。
そこには受水と走水という拝所があって、

おそらく走水の拝所?
そのすぐ下に親田(うぇーだ)という田んぼと、

親田(うぇーだ)
御穂田(みふーだ)という田んぼがあります。

受水の拝所と御穂田(みふーだ)
素人なりの解釈では、琉球開闢の神とされるアマミキヨが、親田(うぇーだ)に稲を植えて琉球の人々に穀物の生産を教えた場所。といった感じでしょうか。
親田御願は祈りから始まった
南城市役所で聞いてみたところ、親田御願は14時から始まるとのことでした。
私たちは14時少し前に受水走水へ到着したのですが、もうすでにたくさんの見物人が集まっていました。ただ、御願の人たちの姿が見えません。
実はこれ、始めに別の場所で祈りを奉げてから受水走水に来る手順だったらしいです。つまり親田御願の始まりを見逃してしまったということ。悔しい。リサーチ不足。
じたばたしても仕方がないので、しばらく受水走水で待つことに。
15分後くらい待ったところで、続々と御願の人たちがやってきました。取材陣やテレビクルーも同行していてなんだか今まで見た沖縄の伝統行事とは雰囲気が違いました。

親田御願の関係者とテレビクルー
御願の人たちはまず受水の拝所に祈りを奉げました。

受水の拝所に祈りを奉げる
その後、親田の前でも祈りを捧げていました。この時、もしかしたらお水撫で(ミージナディ)をしていたかもしれないです…。(過去記事参照→奥武島の旧正月)

お水撫でか?(ぼかし加工をしています)
それから、代表3名が親田へ入って田植えが始まりました。

親田の田植えが始まる(ぼかし加工をしています)
地元の方に教わった親田御願とは季節を告げる行事
田植えの様子を撮っていると地元の男性が、そこからだと尻しか写らないでしょう。もっと前に行って撮りなさい。と声をかけてくれました。
確かにお尻ばっかりだけど前は人が多くて危ないからと伝えると、そうだねぇ。なんでかねぇ。最近急に有名になったからねぇ。と。どうやら見物人が多くなったのはここ最近のようです。
そして男性は続けて、この行事はね、季節を感じる行事でね。これが終わったら、他の田んぼも田植えして良いという合図です。旧正月を過ぎて最初の午(うま)の日にこれをやってね、そしたら周りの農家も、あぁ田植えの季節がやってきたなぁと感じます。季節を告げる行事ですよ。と話してくれました。
沖縄の季節感。この沖縄滞在中ずーっと戸惑っている季節感に、ここでも出会いました。
私たちは、つい2、3日前に奥武島や久高島で正月の雰囲気を味わったばかりです。そして今目の前では五月晴れのような日差しの下、田植えが行われている。それを見ながら季節を感じるという地元の男性の話。
(体験記事→奥武島の旧正月)
(体験記事→旧正月二日の久高島を散策 いつもと違う景色に正月を実感)
当然のことだけど、あぁ私は沖縄の人間ではないんだなぁと、プラスの意味もマイナスの意味もなく、ただシンプルにそう思いました。
私にはまだピンと来ませんが、親田御願というのは、沖縄の農家の人たちに田植えの季節を知らせる行事でもあったのです。
駐車場の一画が「祝毛」という拝所だったとは…
田植えが終わると、近くの拝所に移動して祈りを奉げると聞きました。着いて行くと、百名ビーチの駐車場の一画が祈りの場となっていました。

実は拝所だった駐車場の一画
後で調べると、ここは祝毛(ユーエーモー)という場所だそうで、言葉の意味としては「ユーエー=祝い」「モー=原っぱ・草原」という感じです。
この場所、御願が始まる前はシートもゴザも準備されておらず、ただの枯れた花壇だと思っていました。沖縄ってこれが怖い。気づかぬうちに拝所や御嶽を踏み荒らしていないか不安になります。
祝毛では各方位に向かって祈りが捧げられました。

祝毛(ユーエーモー)で奉げられる祈り(ぼかし加工をしています)
祝毛での祈りが終わると、皆で『天親田のクェーナ』という神歌を奉げるそうです。私たちは予定があったので歌を聞く前に撤退しました。
親田御願と稲作の話にアマミキヨを思い出す
親田御願を行う人たちは、南城市玉城の仲村渠区(なかんだかり)の人たちだそうです。
夫から聞いた話では、仲村渠の人たちは昔から稲作の指導をする立場だったと取材陣に話していたそうです。
素人なりに調べた感じ、仲村渠はアマミキヨと深い関わりがある地域で、アマミキヨを祀る香炉があると聞いたような気がします。(←曖昧な記憶です。)それで私は今のところ、アマミキヨというのは大昔に海の向こうからやってきて、琉球に農作をもたらした渡来人の総称だと思っています。
そういう前提観念があるので、稲作を指導する立場だったという話を聞いて、やっぱりな。と思いました。それに地元の方から聞いた、親田の田植えが終わったら他の田んぼも田植えをしても良いという合図。というお話もしっくりきました。
親田御願は戦争で途絶えていた時期があったようですが、今こうやって復活して沖縄に季節を告げていること、そして大昔からの歴史を伝えていることは、とても重要な役割だと思いました。
滞在中で一番暑かった日、小一時間立ちっぱなしで見ていましたが、体の疲れよりも、貴重な行事を見ることができた満足感の方がはるかに上回っていました。
最後にご馳走わけてもらえたし♪

ご馳走いただきました
くわっちーさびたん。しかしつくづく沖縄は祈りの島だなぁと感じた日でした。
(2018年2月の沖縄滞在ダイジェスト&体験記事一覧はこちら→2018年2月沖縄長期滞在15日間ダイジェスト&2月の沖縄レポ)
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