2025年5月31日放送のブラタモリは宮古島3回目「宮古島・悠久の楽園」のロケ地をおさらいします。
3回目の放送はかなり濃い内容だったので、記事を2つに分けました。
この記事はその2。島尻集落と新城海岸のロケ地をおさらいします。タモリさんたちは島尻集落で受け継がれる祭りと新城海岸にある遺跡の秘密を探りに行きました。
※個人宅や人目につきにくい場所にある拝所はロケ地を特定していません。ご了承ください。
(1回目→ブラタモリ宮古島1回目「宮古島・絶景バスツアー」ロケ地おさらい)
(2回目→ブラタモリ宮古島2回目「宮古島・暮らしの秘密」編ロケ地おさらい)
(3回目その1→ブラタモリ宮古島3回目「悠久の楽園」編ロケ地おさらいその1-伊良部島)
島尻集落の祭りパーントゥプナハ
サバニクルーズの後、タモリさんたちがバスで向かったのは宮古島の北部にある島尻集落。
映像は島尻集落の入り口あたりから始まっていました。
久貝さんによると、島尻集落の人口は250人くらい。ですが、とある祭りのときには2日間で6000人も訪れるらしいのです。
そのとある祭りのヒントが、民家の塀や窓ガラスなどに残された汚れのようなものでした。
少し触ってそれが泥だと気づいたタモリさん。どんな祭りなのか想像しているところで神様が現れました。
神様の正体は…というか神様の等身大パネルを持って登場したのは、島尻自治会長の宮良保さん。2日間で大勢の人が訪れる祭りについて教えてくれました。
その祭りとは、パーントゥプナハ。
パーントゥとは全身に植物と泥をまとった仮面神のこと。祭祀の時には集落に“3匹”のパーントゥが現れて、人や建物などに泥を塗っていくんだそうです。神様に塗られた泥には悪魔や厄を祓う力があるので、塀や窓についた泥を残しておく家もあるんですって。
ちなみに、パーントゥプナハのプナハについて軽く調べたところ、「大きな庭」という意味でした。大きな庭=集落の人が集まって祈願を行う場を指すことから、プナハとは祭祀を意味する言葉になったようです。(参考:文化財解説書冊子『あやんつ』四島西辺コースp.38→刊行物ダウンロードページ【宮古島市教育委員会公認歴史文化観光ロードアプリサイト】)
パーントゥの神聖な仮面とありがたい泥
さて、パーントゥの仮面はとても神聖なものとして普段は集落の3か所に保存されているそうです。
ということでタモリさんたちは、パーントゥの仮面を保存している方のお宅へ。(※個人宅なので詳細は控えます。)
仮面は泥を落とした状態で神棚に保存されていました。
保存しているお宅のご主人は、神様だから大丈夫ですよ。と言って、気さくに仮面を見せていました。
私はてっきりパーントゥの仮面ともなれば、よその人間が触れたら石にされちゃうんじゃないかくらいに思っていたのに、島尻の人…少なくともご主人にとっては、パーントゥはとても身近で温かい神様なんだなと感じました。
仮面は、これまでもこれからもずっとこの家で保存されるそうです。
家の窓にはパーントゥが塗った泥が残されていて、おかげでご主人は一年間病気をしたことがないと。泥をちょっと触ってしまったタモリさんにも、一年間病気しないよ。と言っていました。
それくらい、パーントゥの泥はありがたいものなんですね。
ここで久貝さん、宮古島にはたくさんの祭りがあるけど、パーントゥのように泥をまとった神様の祭りは島尻だけ。なぜ島尻だけなのか、その秘密を探りに行きましょう。と言って次の場所へ。
断層のおかげで米作りができた島尻集落
続いてタモリさんたちが訪れたのは、集落から少し離れたところにある「ンマリガー」。(※地域の人たちの大切な場所なので詳細は控えます。)
「ンマリ」は生まれると言う意味。「ガー」は井戸とか泉とか湧き水があるところを指す言葉。2回目の放送にも「ガー」が出てきましたね。
(2回目のおさらい記事→ブラタモリ宮古島2回目「宮古島・暮らしの秘密」編ロケ地おさらい)
ンマリガーの底には真っ黒な泥がありました。
パーントゥはこの泥をまとって集落に出てくるんだそうです。つまりンマリガーはパーントゥが生まれる場所。
でも、そもそもなぜここに泥があるのか。宮古島の地表はサンゴ(琉球石灰岩)なので水が溜まらなくて人々が苦労したという話を2回目の放送でしていました。
久貝さんによると、島尻集落のあたりは断層の影響でサンゴの下にある泥岩層が地表に出ている場所だそうです。
そのおかげで地表に水を溜めることができたので島尻では米を作ることができた。その昔「島尻米」は島中の人たちが買いにくるくらい貴重な米だった。だから、ありがたい泥をまとった神様の祭りがあるのかもしれないですね。というお話でした。
大昔の人が暮らしやすかった「新城海岸」
次にタモリさんたちはサンゴと断層の恵みを探りに、「新城海岸(あらぐすくかいがん)」へ。

観光客が多すぎて入れなかった新城海岸
観光客にも人気の新城海岸では、大昔(1900年前~2800年前)の人たちが生活していた跡、アラフ遺跡が発掘されました。
リーフ(サンゴ礁)によって波が打ち消される海岸と食料が豊富な遠浅の海、後ろには断層の丘陵で風が穏やかという条件がそろっていて、暮らしやすい場所だったんですって。
ただ、遺跡からは貝を使った斧、貝斧(かいふ)がたくさん発掘されているのですが、土器は見つからなかったそうです。
それは、当時の宮古島の人々は土器を使わず、砂浜に穴を掘って焼けたサンゴとバナナの葉、そしてサンゴの砂で食料を蒸し焼きにするアースオーブンという方法で調理をしていたから。というお話でした。
番組で実際に再現していましたね。蒸し焼きが完成するのに2時間かかるそうで、2時間経ったものがあちらに。ってきょうの料理みたいになってました。おいしそう。食べてみたい。
サンゴと断層が生んだ悠久の楽園
最後に、タモリさんたちは新城海岸の後ろ、断層の丘へ。

断層の丘から見た新城海岸
そこには、岩の間からジャバジャバと水が流れている泉がありました。(※地域の人たちの大切な場所なので詳細は控えます)
これが、大昔、新城海岸に人々が暮らしていた最も重要な理由、近くに真水が湧く場所があったことだったんですね。
宮古島で水が湧く場所といえば、琉球石灰岩と泥岩層の間。新城海岸近くの泉では、その境目がはっきりと見えていました。
最後の最後にタモリさんが一番喜びそうな場所を紹介していましたね~。
大昔の宮古島の人々は、サンゴと断層のおかげで穏やかな海岸のそばに暮らし、豊かな食料を獲り、サンゴ使って調理をし、断層の間から湧く水で命をつないでいたんですね。
そしてその遠浅で美しい海岸は、いま観光客に人気のスポットにもなっている。まさに悠久の楽園。ということでしょうか。
というわけで、ブラタモリ宮古島3回目はこれにて終了。
タモリさん、最初は秘密なんて何もないでしょう。とか言ってたけど、最後にはまたゆっくり来たいって言ってましたね。
確かに。宮古島にこんなにも深い魅力…風土と歴史や風習のつながりが残ってるなんて知らなかったし、知ったらますます宮古島が好きになりました。
宮古島行きたいなぁ。カツオのだしがキリっとした宮古そばが食べたいよー。
おわり
・1回目のおさらい記事→ブラタモリ宮古島1回目「宮古島・絶景バスツアー」ロケ地おさらい
・2回目のおさらい記事→ブラタモリ宮古島2回目「宮古島・暮らしの秘密」編ロケ地おさらい
・3回目のおさらいその1→ブラタモリ宮古島3回目「悠久の楽園」編その1-伊良部島ロケ地おさらい
(関連記事→初めての宮古島旅行-わけわからなすぎたので初心メモ)
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