2024年2月の石垣島滞在前、せっかく街歩きができる季節なので、張り切って八重山の歴史を調べていこうとしたら、いろいろ難しすぎて歯が立たず。
かろうじて、石垣市石垣にある「宮鳥御嶽(ミャートゥリィオン)」は歴史が深いっぽいと知ったので、滞在中、街歩きついでに見に行きました。
御嶽はとても大切な場所なので外から眺めることしかできませんが、周辺を歩いているとそこに残る伝説がリアルな話に感じられておもしろかったです。
あと、滞在前には見つけられなかった伝説の場所が、後日「オッパイ山」というパワーワードによって突き止められた話など、八重山の歴史にまつわる話を少しだけ書きました。
(この滞在のダイジェスト記事→石垣島8日間滞在ダイジェスト-1週間いたけど飽きる暇がなかった)
宮鳥御嶽-石垣&登野城発祥の伝説
「宮鳥御嶽(ミャートゥリィオン)」は石垣島の市街地あたり(石垣地区と登野城地区)発祥の地という伝説がある場所。
石垣&登野城発祥伝説について、素人なりの解釈を自分の言葉でまとめると、
その昔、今の宮鳥御嶽よりももっと北の方にある石城山(イシスクヤマ)に三兄弟(兄弟妹)が住んでいた。ある日神様が現れて、殺伐とした世の中だがあなたたちの行いはすばらしいので人々に愛を与えて神を敬いなさい。我はここで見守っているぞ。といって姿を消した。神様が現れた場所が宮鳥山だったので、兄弟たちはそこに行って拝所を作り近くに住んでお告げにしたがった。すると豊作が続き人々が集まるようになり村ができた。
というような話でした。
この伝説を読んだときに思い出したのが、狩りをしたり細々と耕作をしたりしながら山の上に住んでいた人々が、新しい知識や文明の利器と出会って人口が増え、土地を求めて平地へ移動していくという、沖縄島の歴史本でよく見かける話でした。
宮鳥御嶽の由来がどれくらい昔の話なのかわからないのでアレですが、いろいろつまみ読みした八重山の歴史本の中には、石城山の三兄弟はもしかしたら渡来人で、新しい文化文明を島の人々に伝えたので農耕がはかどって村へと発展していったのではないかというような仮説もありました。
うほほーい。そういう仮説好きよ~♪だって、三兄弟はどこから来たんだろうとか妄想するの、楽しいじゃな~い。
それはさておき、こういう話は一見神がかっているようだけど、よくよく想像を膨らませるとわりかし人間臭いところもあって、おもしろいなぁと思うんです。
宮鳥御嶽と明和の大津波の伝説
ところで、滞在前に宮鳥御嶽について調べていると、明和の大津波の話が出てきました。
明和の大津波は、明和8年(1771年)に発生した地震の後、八重山に甚大な被害をもたらした津波です。
たしか、津波がいよいよ宮鳥御嶽に迫ろうとしたとき、神様が現れて宮鳥御嶽の手前で津波を止めたというような伝説を読んだのです。(どこでそれを読んだのか忘れてしまって、もし間違っていたらすみません。)
それを読んだときは、そうなんだ~。としか思わなかったのですが、実際に街を歩いてみると、なるほどな。と思いました。
桃林寺西側の道と4号線(?)が交差するあたりの道が、急に小高くなっていたんです。
実際、宮鳥御嶽は津波の被害を免れたそうです。ただ、改めて調べてみると、同じ坂の上(4号線沿い)でも浸水した家があるようなので一概に坂の上だから安全とは限らなかったようですね。
津波といえば、つい先日(2024年4月3日)沖縄県全域に津波警報が出て怖かったですよね。
今まで沖縄に滞在するときは、何かあったらグスク(城跡)を目指せばいいわ。くらい適当なこと考えていたんですけど、明和の大津波を調べていると、そんなことでは甘いと感じました。
これからは滞在前に徒歩で避難できる場所を調べておこうと思います。
石城山伝説とオッパイ山とミルミル本舗?!
宮鳥御嶽に関わる三兄弟が元々住んでいた石城山には、もう一つ伝説がありました。
自分の言葉で要約できなかったので抜粋します。
石城山に石城大武者(イシスクウフムシャー)が住んでいた。大男で勇力があるので、近隣の人は服従していた。約3km南西に巻貝のような形をした貝底山(ミナスクヤマ)があり、円形に石垣を積み回してある。そこに富崎ガバネノという弓矢の達人がいた。湾内を通過する舟は帆を下ろして富崎ガバネノに表敬を示した。もし欠礼して帆を揚げていたら、強弓でもって乗組員を射殺した。
【『沖縄戦国時代の謎』(比嘉朝進)p.246より引用しました。】
“湾内”とあるのは名蔵湾のこと。富崎ガバネノはフサキという地域に住んでいたようです。
そしてこれを読んだとき、貝底山ってどこだろうと思ったんです。
ところが滞在前に調べても見つけられず、帰ってきてからめっちゃ調べても見つけられず…諦めかけたころに『沖縄の城跡』(新城徳祐 著/1982)という本でヒントを見つけました。
どうやらガバネノが住んでいた山は「オッパイ山」とも呼ばれているらしいんです。
それで石垣島のオッパイ山について調べると、ありました。
実はこの場所、ミルミル本舗のすぐそばだったんです。
えー!ミルミル本舗行ったし、そういえば駐車場の横にぽっこり丘みたいな山あったわー!と思ったらとっても悔しかったです。その日の晩、夢に出てきたくらい。
しかも私はそっち方面の写真を一枚も撮っていなくて地団駄を踏んだのですが、夫が撮った写真にちょこっとだけ写っていました。
だけどこんなに海を見渡せる場所から船を見下ろしていたんですね~。そりゃ行きかう帆船も必死で帆を下ろすだろうなと思いました。
他説では、ガバネノの時代は武器がなかったから石城山の大武者とは石を投げて戦ったという話もあって、ミナスク山周辺には丸い石がたくさん落ちているというような話もありました。
そういうのも見ておきたかったなぁ。次回のお楽しみですね。
(ミルミル本舗へ行った日の旅行記→石垣島絶景スポットめぐり-島の西側編(夕日スポット多し))
難易度高めの八重山クエスト
それにしても八重山の歴史を調べるのは大変でした。
まず登場人物の名前が難しすぎる。例えば石城山の伝説に登場する三兄弟の名前は、ナタハツ、ピサガーカーラ、マタネマシスだそうで、資料を開いた瞬間にちょっとめまいが…。
それに地名が歴史本によって様々で、冨崎の貝底山(ミナスクヤマ)という場所だけでも、貝底丘、ミヌヌスク、ミナヌスクムル、ミナヌスクムリィ、皆野宿岡、皆野底、皆野底岡というバリエーションがありました。
そうそう、富崎ガバネノも、富崎ガバネ、フサキガポネ、カポネアジなどなど。
だからたったこれだけの記事を書くのにも膨大な時間がかかってしまいました。という言い訳をしたかった。テヘヘ。
いやいや。それもそうだけどこの暗号が解けるようになったら八重山の歴史がもっと深く楽しめるんだろうなとも思いました。
そうそう、八重山滞在中に石垣市立図書館と石垣市立八重山博物館に行こうとしたら、資料整理日と燻蒸処理で臨時休館日だったという、わが家の歴史に新たな伝説が生まれました。
妖怪臨時休業の伝説ということにしておきますかね。
(この滞在のダイジェスト記事→石垣島8日間滞在ダイジェスト-1週間いたけど飽きる暇がなかった)
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