辻の御嶽をめぐる-古地図を頼りに那覇散策その4【沖縄一人旅2日目】

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一人で那覇の歴史散策をした話。その4。

牧志を出発後、なにかしら時間をかけて前島、若狭を散策し、波上宮までたどり着きました。

そろそろ疲れも出てきたので切り上げようかと思っていたのに、もう少しだけ…辻の御嶽だけは見ておきたいという衝動に駆られます。

止める者はいない一人旅。

突き動かされるまま辻の御嶽へ。

その1→「牧志村」を歩く-古地図を頼りに那覇散策その1【沖縄一人旅2日目】

その2→前島の塩田跡を探して-古地図を頼りに那覇散策その2【沖縄一人旅2日目】

その3→若狭の海岸線をまさかのスルー-古地図を頼りに那覇散策その3【一人旅2日目】

唐守森?獅子屋?

辻エリアに関して一応下調べはしていたものの、辻の戦前の風景はいまいちつかめないままでした。

でもGoogleマップに「辻遊郭開祖之墓」とあるあたりが御嶽なのではないかと予想して、ひとまずその方向へ。

すると墓の手前に何かありそうな入り口が。

「辻遊郭開祖之墓」近くで見つけた入り口
「辻遊郭開祖之墓」近くで見つけた入り口

すみませーん。お邪魔しますー。

つぶやきながら覗くと小さな祠がありました。

イシカブイ(石被/那覇市辻)
「イシカブイ(石被)」

まだネットでしか調べていないのですが、この拝所は「イシカブイ(石被)」と紹介されていました。

ただ那覇市歴史博物館のデジタルミュージアムには「獅子屋」というタイトルでこの拝所が写っている写真があります。

料亭松乃下とティーハウスオーガストムーン前の獅子屋(拝所)【那覇市歴史博物館】

明治初年の古地図と照らし合わせてみると、現在波上宮の鳥居があるあたりから「獅子屋」の付近までは「唐守森」(トウマムイ)という御嶽だったようです。

唐守森は久米村に住んでいた人たちが、唐の方向を遥拝したり唐へ旅立つ人の無事を祈った場所だそうです。

トーマムイ /語彙詳細【那覇・首里方言データベース】

ということは、もしかしたらイシカブイは唐守森の拝所なのかもしれないなぁ。と予想しているところ。

よくわからない「鄭大夫岩」

「辻遊郭開祖之墓」付近の全景を撮り忘れてしまったのでストリートビューを埋め込んでおきます。

この辺は戦後に料亭「松乃下」やレストラン「オーガストムーン」が建てられました。

ストリートビューに写っている煉瓦の階段はおそらくオーガストムーンの入り口へ続いていた階段だと思います。

この階段を上ると行き止まりになっていて、草ボーボーの中に小さな祠が見えました。

鄭大夫岩の拝所(那覇市辻)
階段の先にあった祠

後で調べると、ここは琉球の怪談『鄭大夫岩(ていたいふいわ)』の舞台になった場所だそうです。

私は琉球に限らず昔から語り継がれている民話や怪談には、架空の話のようでどこか人間臭いリアルが含まれていると思っている派です。

でも『鄭大夫岩』を少し調べただけでは、なぜこれが語り継がれているのかわかりませんでした。

怪談の内容をザックリ紹介すると、

昔々武勇に優れる鄭大夫(ていたいふ)という人物が、夜中に赤い目をした牛のマジムン(妖怪)とこの岩の上で一晩中戦った。互角の戦いであったため膠着状態が続いたが、朝になるとマジムンは赤い龕(ガン/棺を運ぶ輿)に変わった。

といった感じ。

ただこの話をリアルに考えると、鄭大夫は一晩中龕にしがみついていたことになるわけで…。何してるの?という話になってしまいます。さすがにそれはないはず。

でもあぁそうか。何かの病と闘っていたとも想像できるのか。

まぁこれもネット検索の範囲でしか調べてないのでアレですね。今後もう少しきちんと調べてみたいです。

ちなみに祠の隣にある龍の置物は、料亭ができてから置かれたものだと何かで読みました。

首里への遥拝所

鄭大夫岩から階段を少し降りたところには香炉がありました。

唐守森にある首里への遥拝所(那覇市辻)
鄭大夫岩すぐ下の香炉

ここは首里への遥拝所なんだそうです。

辻の起源ははっきりしないようですが、いつかの時代に首里から追い出された(?)姫君がやってきたという説があります。追い出されたというか、世継ぎ争いのようないざこざがあったんだと思います。

手持ちの歴史本には、琉球王国以前の察度王の時代に、察度王長男の崎山里主が廃嫡されて崎山里主の母と姉が辻村に送られた。という説もありました。

(手持ちの歴史本=『琉球王国の真実-琉球三山戦国時代の謎を解く』伊敷賢)

辻村跡(チージムラアト)の詳細【那覇市歴史博物館】

辻開祖之墓

前々から見に行きたかった「辻開祖之墓」は階段横の敷地にありました。

でも見に行きたかったわりに詳しいことを知らないなぁ。と、今書きながら思っています。

ひとまず見たままを紹介すると、敷地内には小さな祠が3つ。これが辻の起源にかかわる女性達の拝所なのかなぁと思います。

辻開祖の祠(那覇市辻)
辻開祖の祠

それぞれの石碑には「辻開祖」と書かれた横に、左からウトゥダルヌメー、マカドカニヌメー、ウミチルヌメーとあります。

ウトゥダル、マカドカニ、ウミチルは女性の名前。「~ヌメー」は漢字をあてると「~之前」。~様というような尊ぶ意味があります。

そして3つ並んだ祠の左手には大きな祠。

辻開祖之墓(那覇市辻)
辻開祖之墓

石碑には「辻開祖之墓」とその横に「うないみやらびの里」とありました。

うーん。ここは辻のジュリたちを合祀しているのかなぁ。また追々調べます。

お墓の敷地の横にも何やら祠と小屋がありました。

墓の隣にも小屋と祠が
墓の隣にも小屋と祠が

祠は「火の神」(ヒヌカン)でした。

「辻開祖之墓」横には火の神が(那覇市辻)
火の神(ヒヌカン)

小屋は扉が閉まっていたのでわかりませんでしたが、おそらく位牌を祀っている御神屋ではないかと。

もしかしたらどなたかの屋敷跡なのかなぁ。と思ったのですが、この辺は十・十空襲やら戦後の混乱で区画から変わってしまっていて、さっぱりわかりませんでした。

辻原の跡-三文珠公園(サンモージこうえん)

辻開祖之墓を見学した後、私は海側の緑地帯方面へ向かっていました。

ここでひとつ先にお伝えしておきます。これからのルートは辻の中でもかなり濃いエリアを通ります。老若男女関係なく用事もないのに歩くと気まずいお店が立ち並ぶ場所です。お堅い物言いをしますが、散策するかどうかはご自身の責任で判断してください。

さて、目指していたのは三文珠公園。ですがその前に辻原跡沿いの海岸線を通って行きたかったのです。

辻原は戦前崖の上だったところで、ペリー提督もびっくりの墓地地帯でした。しかしここも戦後の区画整理で消滅。

辻原墓地跡(チージバルボチアト)の詳細【那覇市歴史博物館】

古地図と照らし合わせてみた感じ、辻開祖之墓を境に北側が辻原。その先の緑地帯は崖下の砂浜だったと思われます。

昔砂浜だったところは現在こんな感じ。

辻原の崖下、砂浜だったところ(那覇市辻)
辻原の崖下、砂浜だったところ

この道はいつ来ても人気が少ないのでちょっと気合を入れて歩きました。でも掃除された跡があるのでどなたかが管理しているのかもしれないですね。

そしてこの道の先にあるのが三文珠公園(サンモージこうえん)。

入り口付近からの全景は丘のあるただの公園です。

三文珠公園(サンモージこうえん/那覇市辻)
三文珠公園(サンモージこうえん)

三文珠公園に残っている丘は、おそらく辻原の端っこだと思います。

辻原の端?(三文珠公園/那覇市辻)
丘のてっぺんから見える景色

丘のてっぺんに登ると今は町中の景色が広がりますが、その昔はすぐ下に海が広がっていたんじゃないかなぁ。

三文珠公園の由来は、琉球王国時代の賢人たち、蔡温(さいおん/具志頭親方)、程順則(ていじゅんそく/名護親方)、阮瓉(げんさん/山田親雲上)の3人が琉球の未来について語り合った場所だから。というのが有名な話です。

でも手持ちの歴史本では、そんな話はこじつけであろう。とバッサリぶった斬っていました。帽子に似ていたことから山帽子ではないか。とのこと。ふふふ。おもろい。

(手持ちの歴史本=『士族門中家譜』比嘉朝進/平成9年7月30日初版)

獅子屋御嶽-辻南公園

ここまで来るとあともう一か所、どうしても行きたい場所がありました。

それは辻南公園。

辻南公園には戦前この辺が辻村だったころの「獅子屋御嶽」が残っているからです。

ただ、三文珠公園から辻南公園までの道のりは正直一番しんどかったです。道一本の選択を間違えたらしく、どこに目をやったらいいのかわからないお店がずらりと並んでいて精神的にヘビーでした。

ようわからんあのしんどさは何なんでしょうね。素知らぬふりを貫く気疲れと、その他いろいろ…。とかなんとか、勝手に迷い込んでおいてガタガタ言うなっていう話ですね。失礼しました。

そんなこんなでたどり着いた辻南公園。

公園内には拝所らしき小屋や祠がありました。

獅子屋御嶽(辻南公園/那覇市辻)
獅子屋御嶽(辻南公園)

明治の頃この辺はちょうど辻原へ続く斜面だったんじゃないかと思います。

戦前辻村には北側に「上村渠(ウィンダカリ)」南側に「前村渠(メーンダカリ)」という2つの地区がありました。

それぞれに根所(草分け的な家)や地区を守る御嶽があったわけですが、ここ「獅子屋御嶽」は前村渠の御嶽なんだそうです。御嶽の場所も戦前から大きく変わっていないように思います。

ってな感じで辻散策終了。

しかし辻村の歴史はもっと知りたいなぁと思いました。

「遊郭」というひとくくりでは語りきれない文化もあり、もちろん綺麗事だけではない世界もあったでしょうし。でも琉球独特の女性の強さがここには凝縮されているような気がします。

辻村の伝統行事「廿日正月」もめちゃめちゃ見に行きたくなりました。

さて時刻は13時。

そういえばお昼ご飯を食べていない。

いい加減歩き過ぎなのと、辻で道一本迷い込んでしまったダメージで心身ともにヘロヘロです。

さてこれからどうしよう。

最終話につづく…→食って買って読んで見て飲んで食って乾杯した話【一人旅2日目最終話】

その1→「牧志村」を歩く-古地図を頼りに那覇散策その1【沖縄一人旅2日目】

その2→前島の塩田跡を探して-古地図を頼りに那覇散策その2【沖縄一人旅2日目】

その3→若狭の海岸線をまさかのスルー-古地図を頼りに那覇散策その3【一人旅2日目】

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