首里城祭の「冊封儀式」に感動したのでその歴史をまとめてみた

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<2022年2月10日追記:もともとこの記事は、『冊封儀式の歴史を知ったら首里城祭は想像以上に粋なイベントだった』というタイトルでした。

しかし、火災で焼失した正殿が復元されるまで首里城祭は「首里復興祭」としてイベント内容が大幅に変更されています。

首里復興祭の詳細【首里城公園公式サイト】

加えて私は、正式に確認したわけでもないのに、冊封儀式の再現は首里城祭に出演する国王役の任命式だった。などという思い込みをそのままこの記事に書いていました。それはたぶん間違っていたと思います。深く反省し、記事内容を書き直しています。

昔の記事を読んでくださって信じてしまった方がいらっしゃったら、すみません。>

2015年10月31日、首里城で開催されるイベント「首里城祭」を見に行きました。

首里城祭の数ある催しの中で、私たちが見学したのは「冊封儀式」です。

冊封儀式は再現とはいえ厳かな雰囲気がたまらなくかっこいい催しでした。そしてこれはもしかして、琉球の歴史を予習しておくと、見え方も面白さも全然違うのではないかと思ったのです。

ですので、そもそも冊封儀式とは何なのかについて、自分なりに理解している琉球の歴史をまとめてみることにしました。

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冊封儀式が初めて行われる前の琉球

まずは、琉球で冊封儀式が初めて行われる前のお話です。

事の始まりは今から640年ほど前、琉球が一つの国として統一される前の時代までさかのぼります。当時は、琉球各地で按司(あじ)と呼ばれる権力者が小国家を築いていました。

按司たちはそれぞれの領地にグスク(居城のような城のような)を築いたりそれを奪い合ったりして、勢力争いが絶えなかったことから、その時期はグスク時代とか琉球戦国時代ということがあります。

そんな群雄割拠のさなかの1372年、浦添辺り(沖縄の中部地域)を治めていた察度(さっと)という按司のところに、中国明王朝の皇帝から手紙が届きます。

察度が居城したと伝わる浦添グスク(浦添市仲間)

察度が居城したと伝わる浦添グスク(浦添市仲間)

手紙の大まかな内容は、

私はこのたび大国を築いて皇帝となった。周辺諸国にそれを伝えたところ、私に仕えるものとして私のところに貢物を持ってあいさつにきた。あなたの国は遠いので知らせが届いていないのか、まだあいさつに来ていない。だから特別にこの手紙を届けることにした。早く私のところへ貢物を持ってあいさつに来なさい。

といった感じ。

その手紙を受け取った察度はすぐさま貢物を持たせた使者・泰期(たいき)を明に送ります。それによって察度が治める中山(現在の沖縄本島中部あたり)は冊封体制に加わりました。

明へ貢物を運んだ泰期の像(読谷村残波岬にて)

明へ貢物を運んだ泰期の像(読谷村残波岬にて)

これをきっかけに察度は明王朝から中山王・察度(ちゅうざんおう・さっと)と呼ばれるようになります。

冊封体制に加わると公式に交易できる

冊封体制に加わるということは、明皇帝を君主と認めて仕えますと意思表示したことになります。でもその代わり中山王・察度は明王朝と公式に交易ができる立場になったわけです。

つまり、皇帝に貢物を贈った見返りに、膨大な利益を生む褒美の品々を琉球に持って帰ることができるようになりました。さらに品物だけではなく、明王朝の使者が世界中で見聞きしてきた最新の技術や文明も琉球に入ってくるようになります。

冊封儀式のために皇帝の使節団が正殿へ向かう「冊封使行列」

冊封儀式のために皇帝の使節団が正殿へ向かう「冊封使行列」

そのおかげで、察度が治める中山は栄えに栄えて、琉球内の権力者たちが次々と味方になっていったわけです。

その後、琉球南部を治める按司も明王朝の冊封体制に加わり、続いて琉球北部を治める按司も加わります。それによって琉球には中山・南山・北山という3つの国が成り立ちました。ちなみにその時代は三山時代と呼ばれています。

この時代、琉球以外の国では、なんで外国の王に従わなあかんねん!ということで反発して、冊封体制に加わらなかった国もあるそうです。

でも、察度にとって冊封体制に加わるということは、え?なんで?儲かるやん。という話だったのではないか。と考える人もいるようです。

実際、琉球は冊封体制に加わってはいましたが、明(清)からの内政干渉はなかったことから、支配されていたわけではなかった。ということだと思います。

冊封儀式は王の任命式

ところで、明王朝と公式に交易ができるのは、中山では中山王・察度の指示によって派遣された人達です。なので察度が亡くなって、察度の息子が即位する場合、

前王の意思を受け継ぎましたので、これからは察度の息子である私の指示によって貢物を贈ります。

と皇帝に報告して、改めて皇帝から新たに王として任命を受けないといけないわけです。

その時に行われたのが冊封儀式。平たく言うと王の任命式のことなんですねー。

首里城祭「冊封儀式」再現

首里城祭「冊封儀式」再現

琉球で初めて冊封儀式がおこなわれたのは、1404年。察度の息子・武寧(ぶねい)が即位した時だといわれています。それ以降、琉球が統一されて琉球王国になり、1866年に琉球王国最後の王・尚泰(しょうたい)が冊封を受けるまでの462年間、新しく王が即位するたびに冊封儀式が行われてきたわけです。

以上!諸説あり!

ひぃー。本で読んだことを記事に書くのは難しいですねー。

2015年に私たちが見に行った冊封儀式は、清王朝のころ、琉球王国で尚温王が即位したときの記録をもとに再現したものだそうです。毎年そうなのかしら。

首里城祭は五感で楽しめる

さて、冊封儀式の歴史を調べていて、ふと想像したことがありました。

ひょっとして、首里城祭で再現される冊封儀式は、実は、再現に出演している国王役の任命式も兼ねているんじゃないかしら。と。

首里城祭に出演する国王と王妃役は、毎年8月ごろに募集されて9月の半ばごろに選出されるそうです。となると、初仕事は首里城祭じゃない?と思ったんです。

だとしたら、なんと粋なイベントなんでしょう。

と、張り切ってググってみたら、国王、王妃の初仕事は首里城祭PR活動だったり、首里城祭の中の「国王・王妃出御」という催しだったり、いろいろみたいですね。

それに最近は冊封儀式の再現が行われていない様子。(火災前の話です。現在は首里城復興祭としてイベント内容が変わっています。)

首里復興祭の詳細【首里城公園公式サイト】

首里城祭『冊封儀式』-国王の所作は格別

国王の所作は格別

ただ、一度だけしか見ていない首里城祭で、強烈に印象に残ったのが国王の所作でした。たぶん選出されてからの短い期間にしっかり指導を受けたんだろうなぁ。とか妄想しつつ、ずっと眺めていられほど美しい動きでした。

イベント内容は変わっても、そういう姿や衣装、音楽を見聞きできるのはとても貴重だし、関係者の皆さんがとても真剣で、だからこそ漂う厳かな雰囲気がとてもよかったです。

2021年の首里城復興祭はライブ配信あり

2021年の首里城復興祭は10月30日(土)から開催されました。

このご時世なので、国王と王妃が登場するのは「国王・王妃出御」だけだったっぽいですね。

でも、「古式行列」の様子がライブ配信されたらしく、YouTubeにアーカイブが残っていました。

早く正殿が復元されて、首里城祭が復活したらいいですね。それが叶ったときにはアタシ泣くかもしれない。

首里復興祭の詳細【首里城公園公式サイト】

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