2024年12月23日、沖縄旅行6日間の5日目。
この日のメインイベントは読谷村の入り口、比謝橋の歴史探訪でした。
素人なりに調べた戦前の比謝橋の風景を、実際に比謝橋の上から眺めて想像を膨らませてきました。
ま、その前に、読谷村のビーチで弁当を食べた話なども書きつつ、沖縄旅行5日目の旅行記です。
(2024年12月の沖縄旅行ダイジェスト&体験記事一覧→2024年12月の沖縄旅行6日間-滞在中の天気と思い出ダイジェスト)
まずは昼食-渡具知ビーチでお弁当
ヤモリの足音で眠れず、がんばって二度寝した朝。
午前中は宿(Airbnb)でボーっとして、13時前、弁当を探しにお出かけ。
お昼をだいぶ過ぎているから無理かなと思いつつ、読谷高校向かいの「パーラータートル」へ。

パーラータートル(読谷村伊良皆)
運良くお弁当が残っていたので迷わずゲット。
寒くもないし暑くもないから海辺でお弁当食べたいね。ということで、渡具知ビーチへ。

渡具知ビーチの東屋でお弁当♪
ファミマの朝すばと一緒に、いただきます。

パーラータートルのタコライスとかつ丼 with ファミマの朝すば
パーラータートルで買ったのは、タコライスとかつ丼。
このケチャップとマヨネーズがのっているタコライスは、読谷高生の間で“ハンダイバー”と呼ばれているそうです。由来は不明とのこと。
タコライスにマヨネーズは珍しかったけどおいしかったです。肉みそとかではないちゃんとタコライス(スパイス控えめ)。
かつ丼も若干衣が分厚かったけど玉子フワフワでおいしかったなぁ。
どちらもごはん大盛りでした。高校生にお腹いっぱい食べさせたいんだろうなと思いました。
高校生じゃないけど、久しぶりに口いっぱいごはんを頬張れて嬉しかったです。この物価高で、ご飯の量を減らして工夫している弁当屋さん多いですもんね。
大満足!
食後はしばし渡具知ビーチを散歩。今まで行ったことがない北側の端まで歩いて、いつもと違う景色を見てきました。

渡具知ビーチを北の端から見渡す
こうやってお弁当食べたり散歩したりできる憩いの場があるっていいな。読谷っていいな。
比謝橋の歴史探訪
さて、それではこの日のメインイベント、読谷村の歴史探訪へ。
目指したのは比謝橋。

読谷村の入り口、比謝橋
今まで車で通ったことしかないこの橋を歩いてみたかったんです。
地図で見るとここ。
比謝橋下流には戦前まで港があった
比謝橋から下流の比謝川には、戦前まで山原船(やんばるせん)が係留できる港がいつくかあって、比謝港とか比謝矼(ひじゃばし)港と呼ばれていたそうです。
山原船というのは、今でいう沖縄本島北部の山原で切り出した木材を本島中南部に運んだ大きな帆船のこと。木材を運んだ帰りに日用品などを積んで北部に運んでいました。
その山原船は、現在の渡具知ビーチ近くの河口から2kmほどさかのぼって比謝橋まできていたんですって。

比謝川の河口から比謝橋までの地図
残念ながら戦前の比謝橋は、戦後、米軍の軍用道路拡張工事で取り壊され、港の痕跡も、貯水施設の建設で川の流れが変わったため残っていません。
でも、沖縄のかつて港だった話、大好きー。
というわけで、比謝橋近くの昔山原船が係留されていたと思われる場所を見にいきました。
現在の比謝橋から戦前の様子を想像してみる
ひとまず、比謝橋の上から下流方面を撮った写真がこちら。

比謝橋から見た下流の景色
写真左手が海につながる流れ(下流)です。右手前にある陸地(畑)で川が分岐しているわけですが、分岐点より下流側に船をつなぐ大きな岩があったそうです。そして、分岐して畑の向こう側を流れる川の入り口あたりに、引き潮になると歩いて渡れる渡り口があったそうです。
って、文章では伝わりづらいですね。
素人なりにイメージした戦前の風景を、現在の写真に書き込んでみるとこんな感じです。

※船と人のサイズも適当です
さらに、渡り口の右の方、畑の向こう岸あたりには、奄美大島や八重山、宮古などから運ばれた牛を売買する牛市場(ウシマチ)があったそうです。
おそらく牛市場が写ってるんじゃないかと思われる写真が、読谷村地域ガイドマップというサイトの解説下の写真2枚目にありました。
比謝矼集落の名残?
明治時代の終盤以降、陸路が発達するなどして、さらにたくさんの人が行き来するようになったので、ここには比謝矼(ひじゃばし)という集落ができました。
そして、比謝橋から北へ向かう道沿いは70軒以上の商店や飲食店で賑わっていたそうです。料亭もあったんですって。
比謝矼集落も、戦後すべて取り壊されてしまったし、北へ向かう道も、現在の国道58号とは少し違うルートのようですが、一応、戦前賑わっていたあたりのストリートビューを貼っておきます。
比謝橋を読谷村側に渡ってすぐの左手あたりは、戦前の地形が少しは残っているのかなと思います。(川を分岐させていた畑のあたり)
読谷村史に載っていた比謝矼一帯の地図と同じくらいの場所に、喜屋武朝徳という人の住居跡だという杭がありました。(参考:『読谷村史 第4巻 上』(1995年発行)p.506)

白い杭に“喜屋武朝徳(チャンミーグヮー)宅地跡”と書いてあった
喜屋武朝徳は伝説的な空手の名人で、比謝矼区長も務めた人物だそうです。(1870年生~1945年没)
おっと、また話が長くなりましたね。
他にも何か所か見て回ったのですが、琉球王国時代の話と戦前の話で混乱しそうなのでまた今度。
ちなみに、今回の歴史探訪は『比謝矼ガイドマップ』を参考にしました。ガイドマップは読谷村史編集室のサイトからPDFをダウンロードできますよ。
沖縄旅行最後の夜に乾杯!
さぁ、そろそろ暗くなり始めたので撤収。スーパーでサクッと買い物をして宿(Airbnb)へ。
ちゃっちゃとシャワーを浴びたら、かんぱーい!

今夜は鍋!
沖縄旅行6日間の5日目、最後の晩餐は沖縄そばだしを使った鍋と、冷蔵庫の残り物。
そばだし鍋の具材は、
- 豚こまぎれ(沖縄県産)
- コスレタス(ロメインレタス/読谷村産)
- しめじ(沖縄県産)
- エリンギ(沖縄県産)
- えのき(長野県産)
- 〆に沖縄そば(与那覇製麺)
えのき以外すべて沖縄県産でございますー。
そうそう、「サンエー大湾シティ」で買ったミニエリンギセットがお求めやすくて便利でした。あくまでもエリンギが主役なのねとは思ったけど。

ミニエリンギセット
そういうわけで、あっという間に5日目も終了。
あぁ、もう沖縄旅行終わっちゃうんだなぁ。翌日は大阪に帰らないといけないんだなぁ。
っていうか、荷造り全然してないけど大丈夫なんやろか。と我に返ったのは就寝直前でした。
6日目(最終日)につづく→沖縄旅行最終日-うるま市経由で那覇へ向かっただけの日(2024年12月)
(2024年12月の沖縄旅行ダイジェスト&体験記事一覧→2024年12月の沖縄旅行6日間-滞在中の天気と思い出ダイジェスト)
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