2023年4月25日。初めての竹富島散策(後編)。後半はレンタサイクルを返却して徒歩で集落内を散策しました。
主に御嶽や歴史のある場所をめぐったのですが、後で調べてみるといろんなエピソードが残っていて、なかなか深い島だなと思っているところです。
前編→いざ竹富島へ-初めての竹富島散策(前編)【石垣島旅行3日目】
(この旅行のダイジェスト&体験記事一覧→初めての石垣島旅行5日間をダイジェスト的に振り返る)
竹富島出身で園比屋武御嶽の石門を造った西塘
自転車を借りていた友利観光から徒歩で目指したのは、「西塘御嶽(ニシトウオン)」。
沖縄島ではその土地で大切にしている祈りの場のことを御嶽=ウタキといいますが、石垣島や竹富島では御嶽=オンというそうです。
西塘御嶽に祀られているのは西塘という人物。
竹富島出身の西塘は、沖縄島の尚真王代(1500年代あたり)に活躍した人で、首里王府に仕えながら園比屋武御嶽の石門などを造ったそうです。
案内板によると、竹富島に帰ってからは八重山全体を統治したと。
そういえば、カイジ浜の近くに「蔵元跡」という案内板がありました。そこは西塘が八重山を統治していたころの役所的な場所だったそうです。
草が茂っていて当時の雰囲気はわかりませんでしたが、ガジュマルみたいな木がやたらかっこよかったです。
竹富島の集落を見渡す「なごみの塔」は閉鎖中!
そして、いよいよなごみの塔へ。
なごみの塔から集落を見渡す景色は、たぶん竹富島で一番有名なんじゃないかと思っています。
実際私もその景色をPCの壁紙にしていた時期がありました。赤瓦の家の入り口にオリオンビールの立て看板があるのをなんとなくいいなぁと思っていて、いつか同じ写真を撮りたいと。
ところがなんと、なごみの塔は老朽化のため現在閉鎖中。
それでも諦めきれなかったので、塔の根元から似たような景色を撮ってきました。
あのオリオンビールの立て看板がある建物は、食堂兼居酒屋なんですね。
今度来るときはここでオリオンビールを飲もう。うん。そうしよう。
竹富島最大の祭“種子取祭”が行われる「世持御嶽」
続いて「世持御嶽(ユームチオン)」へ。
夫がとにかく世持御嶽にはご挨拶しておきたいというのでついて行ったら、なんと立派な敷地。
世持御嶽は竹富島最大の行事、種子取祭(タナドゥイ)が行われる場所だそうです。
チラッと調べたところ、大昔、竹富島には6つの村(勢力?)があったと。そのころは種まきや農耕の祈願を3つに分かれて行っていたけれど、いろいろ大変なので皆でひとつになって行おうではないか。と提案した人がいた。皆でひとつになってというか、勢力争いがあったのではないか。というような話を読みました。
そして世持御嶽の隣には、波座間御嶽(ウーリャオン)があって、ここに祀られている根原金殿(ネーレカンドゥ)という人物が種子取祭を一つにしようじゃないかと提案した人だと伝わっているそうです。
波座間御嶽は竹富島に残る六山(ムーヤマ)と呼ばれる御嶽のひとつで、六山には大昔の6つの村のリーダーがそれぞれ祀られているんだと。
う…ん。ぼんやりと理解できた…かも。
(参考:『沖縄文化研究 9(法政大学沖縄文化研究所紀要)』p.64←後で何見てこれ書いたっけ?とならないための自分用メモです)
『安里屋ユンタ』のモデル 美女クヤマ誕生の地
続いて目指したのは「美女 安里屋(美女クヤマ)誕生の地」。
ここは、八重山民謡『安里屋ユンタ』のモデルになった女性、クヤマの生家。
沖縄っぽい曲No.1といっていいほど有名な『安里屋ユンタ』ですが、私たちがよく耳にする“サー 君は野中のいばらの花よ”という歌詞は、昭和の初めに新しくつくられたもの。
元々の安里屋ユンタ(安里屋節)は、美女クヤマが役人に口説かれたのに断った物語だそうです。
その成り行きは諸説あって、例えば、役人であろうと愛人になるのは嫌よ!と断ったとか、私はもっと位の高い人に選ばれるわ。というクヤマの自惚れだったとか、口説くんはええけどルールは無視したらあかんわ。という誠実さだった…などなど。
当時は、役人に囲われると両親含め一家安泰だったのに断ったというのがミソみたいですね。
(※実は『安里屋節』という民謡もあるらしく、ユンタと同じくクヤマの物語を歌ったものなんですが、こちらはメロディーが全然違います。この辺まだまだ理解できていなくて、もし間違ったことを書いていたらごめんなさい。)
軽くググったところ、クヤマは1722年生まれだそうです。琉球王国の尚敬王のころの人なんですね。
水牛かわいい♡
さぁ、ちょっと息抜きに水牛車の写真でもどうぞ。
竹富島に来て一番の収穫は、水牛が好きになったことかもしれません。
たまたま見かけた小走りの水牛の表情にキュンとしてしまって、それ以来、なんて賢いんだろう。とか、なんてかわいいんだろう。というふうにしか見えなくなりました。
今回水牛車には乗っていないんですけどね。へへへ。
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大正時代の民家「旧与那国家住宅」
続いて、お手洗いを探して迷い込んだのが国指定重要文化財「旧与那国家住宅」でした。
旧与那国家住宅は1913年(大正2年)に建築された民家だそうです。
敷地内で履き掃除をしている人がいたので声をかけると、靴を脱いで上がってもいいですよと。
お言葉に甘えて見学させてもらいながら、説明なども聞けてよかったです。
ただ、自分はここの管理人でもなんでもないんですよ。とその方がおっしゃっていたのが気になって…。もしかして私たちにしか見えていない人だったらどうしようと不安になりかけていました。だけど後から来た観光客のみなさんとも話していたのでたぶん大丈夫だはず。
で、当然お手洗いなんてこんなところにあるはずもなく…。とりあえず次へ。(だって、もらった地図にWCって書いてたんだもん。)
「仲筋井戸」の近くに鍛冶屋跡?
そろそろ石垣島へ帰ろうかという頃に「仲筋井戸(ナージカー)」を見つけました。
竹富島に6つの村があったころの仲筋村の井戸だと思います。
そして、小道を挟んで向かいに石垣のある何かの敷地跡のような場所がありました。なんの案内もなかったのですが、そこに香炉が置かれていたので気になっていたんです。
どうやら、ここは鍛冶屋跡らしいです。たぶん。
鍛冶には豊富な水が必要なので仲筋井戸の近くにあるんだというような話を、先ほどの世持御嶽について調べたときに読みました。(参考:『沖縄文化研究 9(法政大学沖縄文化研究所紀要)』p.90)
なるほどね~。
おもしろいなぁ。竹富島だけでもこんなにいろんなエピソードが残ってるんですね。
さ、この後は友利観光の送迎バスでフェリーターミナルに移動して、曇天の白い海を渡って石垣島へ。ちなみに友利観光はレンタサイクル返却後、時間が経っても領収証を見せれば送迎バスを利用できました。
初めての竹富島散策に乾杯!
宿に戻って、悪夢のランチタイムに食べられなかったオニササをつまみ食い。
(詳細は前編で→いざ竹富島へ-初めての竹富島散策(前編)【石垣島旅行3日目】)
そして初めての竹富島散策に乾杯。
乾杯メニューは残り物オンパレードで紹介するほどでもないけど、
- さわら刺身を漬けで
- やさい天ぷら(ゆらてぃく市場)
- もずく天ぷら(知念商会)
- トマト
- きゅうり
- 金城かまぼこ
- レタス
- 島どうふマヨ和え
- 島らっきょうおかか和え
このあと、宿のゆんたく広場でしばらくゆんたくを楽しんでいるうち夜は更けてゆき…。
関連記事→【石垣島】「棲家ま~る」宿泊レポート
憧れだった竹富島散策の一日が終了。さすがに疲れたのか、この日はやーるー(やもり)の鳴き声すら気づくことなく、ぐっすり眠ることができました。
さて、翌日は一日宿でゆっくりするつもり。
つづく→のんびりすごした日-石垣島北部をドライブ【石垣島旅行4日目】
竹富島散策前編の記事→いざ竹富島へ-初めての竹富島散策(前編)【石垣島旅行3日目】
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