2018年12月19日、久高島で徒歩散策をした話、その3(最終話)です。
久高島の徳仁港に到着してまず島の南側を歩き(その1)、続いて西側の海沿いを歩いてきました(その2)。
本当はこのまま北上したかったけど、そろそろ帰りの船が気になるので久高島の集落内を少し散策することにしました。
久高島といえばこの広場「久高殿」
最初にたどり着いたのは「久高殿」。私はクダカドゥンと読んでいます。
写真の左がバイカンヤー、真ん中が神アシャギ、右がシラタルー拝殿。
バイカンヤーは、イラブー(ウミヘビ)を燻製にする小屋。
神アシャギは、ニュアンスで祭祀場と解釈しているんですけど、祭祀の時に神が降りてくる場所ではないかと。いや、わからないです。
シラタルー拝殿は、久高島に初めて住んだという祖先シラタルーの香炉が祀られている場所。【その1】で書いたアミドゥシ行事で、住まいを7回移動したというのがシラタルーだそうです。
久高殿のこのアングルの写真は今まで何回も撮っているんですけどね。なぜかここに来ると撮っちゃいますね。
あぁ、また来れたんだ久高島に。と思う場所のひとつです。
歴史のエピソードが伝わる「大里家」
久高殿の東隣りにある「大里家(ウプラトゥー)」。
資料には“大里家の宗家といわれる”とありました。ということはここに代々(屋号?)大里さんが住んでいたのかな。(※資料=『沖縄久高島調査報告書』法政大学沖縄文化研究所久高島調査委員会)
大里家には、久高島で最初に農耕を始めたアカツミーとシマリバーが祀られているそうです。
それから琉球王国時代に尚徳王とクニチャサヌル(神女)が恋仲になったというエピソードもここが舞台です。ちなみにクニチャサって人名ではなくてクニツカサ(国司)という役職を指す言葉だそうです。
もひとつ言うと、ウプラトゥーってウフサトーの久高方言だと思います。大=ウフ、里=サト。
久高島は特に覚えにくい名前の場所が多いので、こうやって文字の成り立ちを考えると覚えやすいかと思います。って自信満々に書いたけど、そういえば答え合わせをしたことはありません。
火を使えることに感謝するヒヌカン
ウプラトゥーの御神屋で見つけたのが、これ、
これは、おそらくヒヌカン(火の神)だと思います。
ヒヌカンって漠然と火の神さまだと思ってたんですけど、火を使って煮炊きができることへの感謝から始まっているようです。
昔は上の写真みたいに石を三つ並べて、その上に釜とか鍋を置いて煮炊きしていたそうです。だからヒヌカンには基本的に石が三つ置かれているんですって。
各家庭のヒヌカンは、最近になって石の代わりに香炉を置くようになったと聞きました。
このヒヌカンのうんちくはついこないだ知ったので、これを見て、おぉ!これぞまさにヒヌカン!って初めてピンときました。
大里家の御神屋にも、もう何回も来ていたんですけどね。
島の祭祀場「外間殿」
集落散策の最後は「外間殿(フカマトゥン)」。
外間殿は旧正月にシャクトゥイ(酌取り)をしたりするところです。
詳しい由緒を知りたかったんですけど、手持ちの本では”シマレベルの祭祀場である”と説明されているだけで、ちょっとよく解りませんでした。また追々調べてみます。
しかもなぜか外間殿の全景写真を持っていない。
とにかく、外間殿の建物の向かいにある御嶽みたいな雰囲気の拝所にご挨拶をしました。
ここもけっこう好きなんだけどな。まだまだよく解っていないですね。
ありがとう久高島
さてちょっと休憩と立ち寄った交流会館で時計を見ると、12時過ぎ。
徒歩だし、これ以上ウロウロしていても気が急くので、一息ついたら徳仁港まで戻ることにしました。
徳仁港に向かう途中、久高島で行きつけの食堂「食事処けい」に寄って、手作りサータアンダギーを買いたかったのですが、今日はない。とのこと。残念。
しばらく食べていないさー。けいちゃんのサータアンダギー。
この後ちょこちょこ寄り道をしてから、13時発のフェリーに乗りました。
フェリーが回転してこの景色が見えるといつも、ありがとー!久高島ー!って思います。そして、また来るねー!と心の中で叫んだ後、イスに座って爆睡するのです。
夢から覚めると安座真港。久高島の旅はこれでおしまい。
しかしこうやって思い出しながら振り返ってみても、やっぱり好きだなぁ。久高島。何回行ってもいい島です。穏やかな島ですよ。
おわり
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