1泊2日で行った沖縄旅行の最終日。レンタカー返却までの短い時間を利用して、糸満の史跡めぐりをしました。
糸満は沖縄本島南部に位置する街で、那覇空港から比較的近い場所にあります。
那覇空港周辺のレンタカー屋さんまでのアクセスも良いので、最終日でも移動時間を節約しつつ沖縄を楽しむことができます。
この日訪れた史跡は5カ所。所要時間は2時間ほどで満喫した歴史旅でした。
訪れた糸満の史跡は5カ所
訪れた史跡は、
- 南山城跡(南山グスク)
- 嘉手志井(かでしがー)
- 山巓毛(さんてぃんもう)公園
- 他魯毎の墓
- 白銀堂
の5か所です。
南山城跡(南山グスク/糸満市大里)
現在糸満市大里の高嶺小学校の一部になっている南山城跡(南山グスク)。地図には南山神社と表記されています。
ここは琉球が一つの国に統一される前、中山・北山・南山という三つの勢力に分かれていたころに、南山で一番権力を持っていた王のグスク(居城)だそうです。
城主が何度も交代している古いグスクですが、最後は他魯毎(たるみー/たろまい)王の時、尚巴志(しょうはし)という人物によって、南山の勢力は滅ぼされたといわれています。
南山グスクの場所
住所:沖縄県糸満市大里1901付近
嘉手志井(かでしがー/糸満市大里)
南山城跡のすぐ近くには、嘉手志井(かでしがー)という泉があります。
嘉手志井には、南山の最後の王・他魯毎(たるみー)が、尚巴志(しょうはし)の持っていた金の屏風に目がくらみ、この泉と屏風を交換してしまったという伝説があります。
他魯毎的には『泉を持ちさることはできないだろう。』と高を括って交換条件に応じたわけですが、尚巴志は泉の周りに柵を立てて、『自分の味方になった者だけがこの泉を使って良い。』とお触れを出したそうです。
それがきっかけで、人々の心は他魯毎から離れていったというお話。
この伝説がどこまで本当かはわからないですが、それほど尚巴志が策士だったということですね。
現在の嘉手志井(かでしがー)は、思っていた以上に水が澄んでいて、子どもが浮き輪して泳いでいました。気持ちよさそうだったな~。
沖縄で泉や井戸をたくさん見たけど、こんなに綺麗な水は初めて見たかも。
嘉手志井の場所
住所:沖縄県糸満市字大里251−1付近
山巓毛公園(さんてぃんもう公園/糸満市糸満)
糸満市糸満にある山巓毛(さんてぃんもう)公園。
他魯毎が最後、尚巴志の軍に追われて討たれたとされる場所。なんですが、もし歴史に興味がなくても、ここはおすすめです。
公園内には展望台があって、天気のいい日には街の向こうに青い海を見ることができます。夕日も綺麗なんだろうなぁ。
少し風は強いけど海を見たり飛行機を見たり、しばらくここでのんびり過ごすのもありですよね。
他魯毎の墓(糸満市糸満)
山巓毛(さんてぃんもう)公園の崖下には他魯毎の墓があります。
最後は尚巴志に敗れましたが、さすが王族の墓です。琉球の王になれたということは、それだけ人々に慕われていたということなんでしょうね。
沖縄の、特に歴史上の人物のお墓はぜひ一度、見てみてください。私が思うに、内地のお墓とは位置づけが違うような気がします。
他魯毎の墓の威厳あふれる雰囲気は圧巻でした。
山巓毛公園と他魯毎の墓
山巓毛公園の住所:沖縄県糸満市 糸満538
他魯毎の墓は山巓毛公園の南側の崖下にあります。
白銀堂(糸満市糸満)
山巓毛(さんてぃんもう)公園のすぐ近くにある白銀堂(はくぎんどう)。
海人の街、糸満の年中行事に密接した拝所です。沖縄に夏を告げる伝統行事、糸満ハーレーの安全祈願もここで行われます。
ここは昔、ヨリアゲノ嶽と呼ばれていたそうです。琉球王国時代の資料に「ヨリアゲの嶽 神名シロカネノ御イベ」と書かれている場所です。
「ヨリアゲ」というのは、海流によって魚などが流れつく場所を指す言葉。「シロカネ」というのは、白砂を意味する言葉だそうです。
ということは大昔はここに波が打ち寄せる砂浜があった。ということなんだと思います。
私が持っている資料には
ここにヨリアゲノ嶽があることによって、糸満の地に、古くから漁業集落のあったことが推定できるのである。
と書かれていました。(「列島縦断 地名逍遥」谷川健一著p.155から抜粋しました。)
白銀堂の場所
住所:沖縄県糸満市糸満23
こんな感じで、最終日の残り時間を使って史跡めぐりを満喫しました。
この後は糸満のファーマーズマーケットへ行って、自分たち用のお土産に、沖縄の新鮮野菜をたくさん買い込みましたよ。
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