島添大里グスクがかっこよすぎて感動した話

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2018年2月、南城市大里にある島添大里グスク(島添大里城跡)へ行ってきました。

現在の島添大里グスクには正殿などは残っておらず復元もされていません。見られるのは石積みやグスクからの景色くらいなのですが、それがたまらなくかっこよく美しかったんです。

後で調べたところ、歴史的にとても重要なグスクだったようで、なぜ今こんなにひっそりと佇んでいるのか意味が分からなくなりました。

というわけで、素人なりに調べた島添大里グスクのザックリとした歴史と、舞い上がってしまってちゃんと撮れてない写真で、島添大里グスクの素晴らしさを紹介します。

(2018年2月の沖縄滞在ダイジェスト&体験記事一覧はこちら→2018年2月沖縄長期滞在15日間ダイジェスト&2月の沖縄レポ

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島添大里グスクを歴史の重要人物が奪い合っていた

島添大里グスクについて軽く調べてみると、琉球の歴史の中でもかなり古い時代からあるグスクのようです。

グスク周辺の集落には、神話時代の伝説とされている天孫子アマミキヨに関係する拝所が残っていて、天孫氏の子孫が島添大里グスクを築城したという話もあるようです。(参考:『大里村史 通史編』(昭和57年発行)p.37、『南城市の御嶽』p.289、『世界遺産 グスク紀行』(岡田輝雄)p.148)

そして時代変わって群雄割拠の琉球三山時代。

三山時代というのは沖縄島(沖縄本島)の各地にあった小国家が、中山、南山、北山の3つの勢力(三山)に分かれていた時代のこと。

三山それぞれの王は、明(中国)と進貢貿易をしていたわけですが、そのためには明からの承認が必要でした。

にもかかわらず、南山には、自分は南山王の叔父だからといって勝手に(?)進貢貿易に加わっていた強者がいました(汪英紫)。その強者が、力を蓄えた末に乗っ取ったのが島添大里グスクでした。

その強者は、沖縄島南部の4つの地域(大里、佐敷、知念、玉城)を支配して、“下世の主”と呼ばれるほどの力を持っていたそうです。

島添大里城主が支配した東四間切(大まかなイメージ)

島添大里城主が支配した東四間切(大まかなイメージです)

時を経て、三山時代の終盤に頭角を現した尚巴志(しょうはし)という人物が、三山を次々と攻略して琉球を統一していきました。

尚巴志が三山攻略のとっかかりにまず手に入れたのが島添大里グスクでした。

そして、三山を統一して尚巴志が首里に移った後も、島添大里グスクを離宮として使用していたのではないかという話もあり…。(参考:『南城市のグスク』p.130)

琉球の歴史の節目節目に現れる重要人物が、次々と島添大里グスクを奪いに来てたって、すごくない?こんな歴史的に重要なグスク、もっと知られていてもいいはずなのに、そのすごさを知ったのは私もつい最近でした。

島添大里グスク、素敵すぎる。

南城市の文化財と歴史を知る本【南城市役所】

『南城市のグスク』(ダウンロード資料)【なんじょうデジタルアーカイブ】

映画のセットみたいな正殿跡がかっこよすぎた

付け焼刃なうんちくはこの辺にして、島添大里グスクのかっこよすぎるその姿を見てください。

まず、正殿跡まで続く道は野面積みの石垣で、なんかもう映画のセットみたいでした。

島添大里グスク正殿跡へ続く階段

島添大里グスク正殿跡へ続く階段

そして階段を登った先に広がるのが正殿跡の広場。

島添大里グスク正殿跡

島添大里グスク正殿跡

正殿跡にたどり着いたときは「すげー!かっけー!」しか言葉が出てきませんでした。

ただひたすら「すげー!かっけー!」を連呼しながら、写真を撮るのも忘れてあっちをウロウロこっちをウロウロ。

島添大里グスクからは首里や勝連まで見渡せる

正殿跡の高台から見る景色は絶景で、(資料によると)南風原から首里まで見渡せるシティービューと、

南風原から首里まで見渡せる絶景(島添大里グスク)

南風原から首里まで見渡せる絶景

勝連半島まで見渡せるオーシャンビュー。

島添大里グスクからは勝連半島まで見渡せる

(霞んでいなければ)勝連半島まで見渡せる

そして、勝連半島の方向にズームしてみるとこんな感じ。

島添大里グスクから勝連半島をズームしてみる

島添大里グスクから勝連半島をズームしてみる

手前の赤い橋みたいなのが、中城村にある火力発電所の施設。その向こうが勝連半島。これ、もっとハイスペックな望遠レンズで霞のない日に撮ったら勝連グスクも写るかしら。

島添大里グスクと勝連グスクとの位置関係

島添大里グスクと勝連グスクとの位置関係

グスクからのこういう景色を見ると、その昔、ここの主はここから何を見て何を思ったんだろう。と思うんです。

昔の人はテレビもパソコンもなくて、現代人より絶対視力はいいと思うし、土地間隔も今よりもっと壮大にとらえてたんじゃないかなぁ。とか…。

島添大里グスクの主はここから勝連グスクを見て、味方につけるか手に入れるか、戦略を練っていたのかなぁ。とか…。

そんなことを考えながらしばらく景色を眺めていました。

島添大里グスク周辺は公園だから行きやすいよ

島添大里グスク周辺は現在公園として整備されていて、駐車場もあるのでとても行きやすいグスクです。

それにグスク自体も整備が進んでいるのか、以前草ボーボーだった入り口が

草ボーボーだった島添大里グスク(2015年6月11日撮影)

草ボーボーだった島添大里グスク(2015年6月11日撮影)

すっかりきれいになっていました。

スッキリしていた島添大里グスク(2018年2月18日撮影)

スッキリしていた島添大里グスク(2018年2月18日撮影)

ただこれは旧正月だからスッキリしていたのか、今後も維持されるものなのかはわかりませんが。

なにはともあれ島添大里グスクは、琉球の歴史に詳しくなくても、歴史に興味がなくても、膝が元気ならばぜひ見に行って欲しいと思う、歴史ロマンを感じる素敵なグスクでした。

(2018年2月の沖縄滞在ダイジェスト&体験記事一覧はこちら→2018年2月沖縄長期滞在15日間ダイジェスト&2月の沖縄レポ

 

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