2018年2月、南城市大里にある島添大里グスク(島添大里城跡)へ行ってきました。
現在の島添大里グスクには正殿などは残っておらず復元もされていません。見られるのは石積みやグスクからの景色くらいなのですが、それがたまらなくかっこよく美しかったんです。
後で調べたところ、歴史的にとても重要なグスクだったようで、なぜ今こんなにひっそりと佇んでいるのか意味が分からなくなりました。
というわけで、素人なりに調べた島添大里グスクのザックリとした歴史と、舞い上がってしまってちゃんと撮れてない写真で、島添大里グスクの素晴らしさを紹介します。
歴史的に重要すぎる島添大里グスク
島添大里グスクについて軽く調べてみると、琉球史の中でもかなり古い時代からあるグスクのようです。
グスク近くの集落には神話の時代とされている天孫子やアマミキヨに関係する場所もあるようで、天孫子って作り話じゃなかったんだ!という驚きがありました。ただ、天孫子界隈の歴史の話はかなり難しくて何度読んでも脱落してしまうのでここでは省きますね。(参考:『南城市の御嶽』p.289、『世界遺産 グスク紀行』(岡田輝雄)p.148)
素人なりにかろうじて説明できそうなのは、琉球三山時代の話でしょうか。
三山時代というのは沖縄島(沖縄本島)の各地にあった小国家が、中山、南山、北山の3つの勢力(三山)に分かれていたころ。
中山、南山、北山、それぞれの王が明(中国)と進貢貿易をしていた時代に、南山王の叔父として勝手に(?)進貢貿易に加わっていた強者が居城していたのが島添大里グスクだそうです。
その強者は、沖縄島南部の4つの地域(大里、佐敷、知念、玉城)を支配していて“下世の主”と呼ばれたと。
時を経て、3つの勢力を尚巴志(しょうはし)という人物が次々と攻略して琉球を統一していくわけですが、三山攻略に取り掛かる前、尚巴志がまず手に入れて拠点としたのが島添大里グスクだそうです。
そして、三山を統一して尚巴志が首里に移った後も、島添大里グスクを離宮として使用していたという話もあり…。(参考:『南城市のグスク』p.130)
すごくない?こんな歴史的に重要なグスク、もっと知られていてもいいはずなのに、そのすごさを知ったのは私もつい最近でした。
島添大里グスク、素敵すぎる。
島添大里グスクの正殿跡がかっこよすぎる
続きまして、島添大里グスクのかっこよすぎるその姿を。
まず、正殿跡まで続く道は野面積みの石垣で、なんかもう映画のセットみたいでした。
そして階段を登った先に広がるのが正殿跡の広場。
正殿跡にたどり着いたときは「すげー!かっけー!」しか言葉が出てきませんでした。
ただひたすら「すげー!かっけー!」を連呼しながら、写真を撮るのも忘れてあっちをウロウロこっちをウロウロ。
グスクからの景色が素晴らしすぎる
正殿跡の高台から見る景色は絶景で、(資料によると)南風原から首里まで見渡せるシティービューと、
勝連半島まで見渡せるオーシャンビュー。
そして、勝連半島の方向にズームしてみるとこんな感じ。
手前の赤い橋みたいなのが、中城村にある火力発電所の施設。その向こうが勝連半島。これ、もっとハイスペックな望遠レンズで霞のない日に撮ったら勝連グスクも写るかしら。
グスクからのこういう景色を見ると、その昔、ここの主はここから何を見て何を思ったんだろう。と思うんです。
昔の人はテレビもパソコンもなくて、現代人より絶対視力はいいと思うし、土地間隔も今よりもっと壮大にとらえてたんじゃないかなぁ。とか…。
島添大里グスクの主はここから勝連グスクを見て、味方につけるか手に入れるか、戦略を練っていたのかなぁ。とか…。
そんなことを考えながらしばらく景色を眺めていました。
島添大里グスク周辺は公園だから行きやすいよ
島添大里グスク周辺は現在公園として整備されていて、駐車場もあるのでとても行きやすいグスクです。
それにグスク自体も整備が進んでいるのか、以前草ボーボーだった入り口が
すっかりきれいになっていました。
ただこれは旧正月だからスッキリしていたのか、今後も維持されるものなのかはわかりませんが。
なにはともあれ島添大里グスクは、琉球の歴史に詳しくなくても、歴史に興味がなくても、膝が元気ならばぜひ見に行って欲しいと思う、歴史ロマンを感じる素敵なグスクでした。
2018年2月の沖縄滞在まとめ&体験記事一覧はこちら→沖縄で15日間の長期滞在から帰ってきました
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