南城市にある島添大里グスクへ行ってきました。
島添大里グスクは、琉球の歴史に詳しくなくても、歴史に興味がなくても、膝が元気ならばぜひ見に行って欲しいと思う、歴史ロマンを感じる素敵なグスクでした。
以前は近づけなかった島添大里グスク
実は島添大里グスクには以前一度来たことがあったんです。でもその時は辺り一面うっそうとした草原みたいになっていて近づけなかったんですよね。

うっそうとしていた島添大里グスク(2015年6月11日撮影)
それが先日訪れた時にはすっかり綺麗になっていて

スッキリしていた島添大里グスク(2018年2月18日撮影)
写真を見比べてみるとやっぱり全然違いますよね。以前は石垣さえも見えてなかったんだ。これって史跡として整備されていってるのかしら。それともたまたま旧正月の大掃除だったのかしら…。ずっとこのまま綺麗でいてほしい。
かっこよすぎる前庭と正殿跡
島添大里グスクの正殿跡へ続く道は野面積みの石垣で、なんかもう映画のセットみたいでした。

正殿跡へ続く道
そして階段を登った先に広がるのが正殿跡の広場。

正殿跡
正殿跡を見たらもう「すげー!かっけー!」しか言葉が出てきませんでした。
ただひたすら「すげー!かっけー!」を連呼しながら、写真を撮るのも忘れてあっちをウロウロこっちをウロウロ。
グスクから見渡せる絶景
正殿跡の後ろの高台から見る景色は絶景で、南風原から首里まで見渡せるシティービューと、

南風原から首里まで見渡せる絶景
勝連半島まで見渡せるオーシャンビュー。

勝連半島まで見渡せる絶景
グスクからのこういう景色を見ると、その昔、ここの主はここから何を見て何を思ったんだろう。っていつも思うんです。
そして勝連半島までのビューを望遠で撮ってみるとこんな感じ

大里グスクから勝連半島を望遠で撮る
手前の赤い橋みたいなのが、中城村にある火力発電所の施設。その向こうが勝連半島。これ、もっとハイスペックな望遠レンズで霞のない日に撮ったら勝連グスクも撮れるかしら。
昔の人はテレビもなくてパソコンもなくて、現代人より絶対視力はいいと思うし、土地間隔も今よりもっと壮大にとらえてたんじゃないかなと思うんです。
島添大里グスクの主はここから勝連グスクを見て何を思ったんだろう。味方につけるか手に入れるか。戦略を練っていたのかなぁ。とか当時のリアルはまだよくわからないけど、そんなことを考えながらしばらく景色を眺めていました。
島添大里グスクで感じた歴史物語
特にこのグスクは歴史が深くて、琉球王国が成立するよりもーっともーっと前の、それこそグスク時代の初期の頃からあったグスクだと思うんですよね。(たぶん。よく調べてないけど)
戦乱の世で代替わりもあったらしいんだけど、最後の最後に落城させたのは琉球を統一した尚巴志だったみたいです。
南城市の案内板には、“尚巴志が一番最初に攻略したグスク”と書いてあって、策士と言われる尚巴志は、この島添大里グスクを押さえておけば、南山(南部エリア)の按司たちの大半が自分に従うことを確信していたんだろうなと思いました。それぐらい勢力の強い支配者がいた気配をガンガン感じました。
尚巴志が三山統一に取り掛かるタイミングも、まずは島添大里按司の勢力が弱まるまで待ってたんじゃないのかなとかね。なんだかそういういろんな歴史物語を妄想させられるグスクでした。
なんかねぇ。アタクシ舞い上がってしまって、島添大里グスクのまともな写真が全く撮れてなかったんですよ(^^;)。一番見せたかった正殿跡も帰り際に慌てて撮ったから逆光だし。時間をかけて画像補正したけどイマイチな感じでごめんなさいね。次回はもっと綺麗な写真を撮ってきますね。
島添大里グスクのマップ
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