与座集落で出会った人たちがきっかけで気づいたこと

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先日書いた糸満の与座集落での記事に

”与座ガーをのぞいていたら、地元の方と思われる女性が話しかけてくれました。最初はあいさつ程度だったんですけど、そのうちとても素敵なお話しを聞かせてくれて…。”

と書いていた、この話の続きです。(先日の記事→『「世の始まり」と伝わる集落-糸満市与座集落へ行ってきた』)

与座集落で出会った人たちがきっかけで気づいたことがたくさんあるので、忘れないうちに書き留めておこうと思います。

与座ガーで出会った女性の話

与座ガーの拝所(糸満市与座)
与座ガーの拝所(糸満市与座)

この時の女性の話を、いつかこのブログに書こうと思っていたのですが、なかなか言葉にまとめられなくて今に至ります。

でももうそろそろこのまま温め続けても、まとまることはないんだろうな思い始めたので、そぼろ状のままですけど書き出してみます。女性はこんなようなことを話してくれました。

「水は人が生きるために絶対に必要なものだから、こうやって水が湧くところに人が住み、村を作っていった。大昔の人は自然に生かされていることも、自然の力にはどうしようもないことも知っていた。だから、自然を恐れ敬いつつ自然に感謝して生活をしていた。

自然と共に生活をしていた頃、人は目に見えないものや感覚的なものに対する勘が研ぎ澄まされていた。今は日本でも自然と生活することが少なくなってしまったから、そういう感覚が鈍ってしまった。それでも稀に昔の人のように敏感な人がいる。そういう人たちのことを沖縄ではユタとか、日本ではイタコ、外国でシャーマンとか呼ぶのかもしれないね。

沖縄には先祖を敬う習慣があった。先祖が大切にしていることも大切に受け継いできた。だから今でも自然に対して祈る習慣が続いている。この泉から流れる水は川となって海へ流れていく。沖縄の人は川を蛇と見立てて神聖なものとした。そして河口を蛇の頭と見立てて竜宮神を祀った。

水は海へ集まって渦を巻き世界中と繋がっている。人はみんな水がないと生きられないしこの水は誰のものでもない。みんな一つなんだよ。地球は一つなんだということをたくさんの人に伝えてください。」

ねぇ。やっぱり私の中でまとまってないですね。その女性はもっとナチュラルに秩序立てて話してくれたんですけどね。それにかなり私の解釈と意訳が入っていると思います。なので見当違いな発信をしてしまっていたら申し訳ないです。

でもこのお話しを聞いたときに、今まで私がぼんやりと心のどこかで思っていて言葉にできなかった部分を、全部言って聞かせてもらえたような気がしたんです。『せやねんせやねん。何かそんな感じのことずっと思っててん。』みたいな感じでうなずき過ぎてヘッドバンギングしながら話を聞いてました。

沖縄にいると、科学とかなんとか”学”で証明されることだけが真実…ではないんだろうなぁと感じることが多々あるんですよね。それに、そうだった。人間が存在するもっともっと前から地球は存在したんだ。みたいな気の遠くなるようなスケールを感じたり。

現代人が忘れかけていること、今でも沖縄に残っている豊かさやそれを大切にしようという心、そもそも人間にとって本当に大事なことって…みたいなものを考えさせられる気がしました。

公民館のでの会話で思い出したこと

与座ガーで女性と別れた後、通りすがりのおじさんが声をかけてくれて、公民館へ行けば歴史の資料があるかもしれないと教えてくれました。

公民館の事務室に運よく女性がいたので、史跡マップがあればいいなと思って聞いてみたんです。そしたら、
「与座には史跡はあまりないけど、拝所(うがんじゅ)が多いんですよ。…」
と言って、与座についてあれこれ話をしてくれました。

このとき、私にとって「史跡はないけど拝所が多い」っていう一言は衝撃で、なんかちょっと『あぁごめんなさい。』みたいに思ったんですよね。誰にも怒られてないし悪いことはしてないんですけどね。

それまで私の中では、琉球の歴史にまつわる拝所なので史跡とか歴史のスポットっていうイメージが強かったんです。でもその一言で『そうだった。歴史の”跡”にはなってないんだ。今も現役の生活の一部なんだ。』って改めて気づかされたというか、我に返ったんですよ。

私個人に、生活の中で祈る文化がないので、歴史本に書いてある歴史上の人物にまつわる場所を見つけると、わーい!見つけたー!みたいなノリで見に行ってしまいがちで、でももちろん御嶽や拝所やお墓に行ったら、知り得る限りの敬意は払ってご挨拶してきたつもりだったけど、生活の一部っていう感覚をリアルなところで持っていなかったなぁと、言葉にするとそんな感じのドキッとした衝撃を受けました。

最近流行りのパワースポットと呼ばれる場所も沖縄にはたくさんあるけど、そこも歴史の”跡”でもなく作られたテーマパークでもないんですよね。特に沖縄の場合は、そこに祈りに来ている人たちにとってリアルに神聖な場所で、生活の一部としてそこで祈っていて、それを習慣として生きている人たちがいるんですよね。それもこれも全部ひっくるめて初めてその場所が、外から来た人にとって魅力的な場所になっているわけで…。って今、書きながらそう思いました。

そっかー。だから私は”沖縄のパワースポット”っていう言葉にちょっと『ん?』と思ってたのかも。その地点単品だけクローズアップしていることがしっくりきてなかったのかもしれない。

って拝所も史跡もごっちゃにしかけてたやつが書いてます(;´∀`)いや。でも、与座集落で思い出させてもらったからもう大丈夫です。

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